【太田道灌品川館】

【太田道灌品川館】


諸書の伝える所によれば、前年即ち康正元年家督をついだ資長は当時武州荏原郡品川の居館に居つたのである。(13)その地は今の品川御殿山町の丘陵上であろうというのが通説である。

道灌はこの居館を中心としてまづ附近の地理的条件を克明に調査したことであろう。城取りの候補地も二三を選び出したこと勿諭であつた。伝える所によれば、上野の台や吉祥寺の台地が有カな侯補地にあげられたという。
(前島康彦 太田道灌p38)

(13)品川館跡

道灌が江戸築城以前に品川の館に居たという事は事実であつたようであるが、今その遺跡を明かにしない。高輸台につづくこの台地は南方に目黒川の低地があり、古くより非常な要害であつたと共に台下は早く開けた海陸の交通の要地であつた。ここの妙国寺は豪族鈴木道胤の再建する所で堂塔の美を誇つていた事は道灌時代の実況であり、品川寺には道灌の守本尊と伝える水月観音がある。太田氏がいつ頃よりこの地に因縁をもつに至つたか明かでないが、思うにこの辺は扇谷上杉の所領でその館があり道灌も一時居館したことがあつたのであろう。妙国寺の裏山はその館跡かと伝えている。
(前島康彦 太田道灌p206)