【岩松氏】(いわまつうじ)

【岩松氏】(いわまつうじ) 

新田岩松氏ともいう。開祖時兼は、足利義純と新田義兼の娘を両親とし、母の新田尼から譲られた上野国新田荘岩松郷以下の地頭職に、1224年(貞応3)、26年(嘉禄2)に補任された。
以来、新田氏の有力庶家となり、68年(文永5)には庶家の一つ世良田氏系の得川頼有から得川郷などを継承して勢力を拡大した。

新田義貞の鎌倉攻めには功績があり、飛騨守護職などを得た。しかし南北朝内乱期には、足利氏に属して新田氏の没落とともに新田荘の支配権を獲得した。

14世紀中葉には、岩松頼宥は備後国で足利尊氏方の侍大将として活躍した。1417年(応永24)上杉禅秀の乱において、岩松満純は、上杉禅秀に味方して滅亡する。岩松氏はまもなく再建されるが、礼部・京兆二家に分かれ、享徳の乱の過程で後者は滅亡し、前者の岩松尚純・昌純も、16世紀中葉には、家臣の横瀬(由良)氏に実権を奪われる。岩松尚純は宗梢と親交があり、連歌に通じていた。岩松氏の相伝文書として〈正木文書〉が伝わる。  峰岸 純夫

(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.