【菊姫】

【菊姫】


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永禄6年(1563年)、武田信玄の六女として生まれる。母は油川信守の娘・油川夫人。同母兄弟に仁科盛信、葛山信貞、松姫[2]。



天正3年(1575年)、長篠の戦いで兄の武田勝頼が織田信長に敗れて以降、武田氏の勢力が衰退し、上杉氏と同盟を結んで信長に対抗するため、甲越同盟の締結が行なわれた天正7年(1579年)に両家の同盟の証として上杉景勝に嫁いだ。婚約が成立したのは景勝と上杉景虎による御館の乱の最中のことであった。甲陽軍鑑によれば、景勝と婚約が成立する以前に長島一向宗の願証寺の僧と婚約していたとされる。



嫁いだ後は上杉家中から甲州夫人もしくは甲斐御寮人と呼ばれ、質素倹約を奨励した才色兼備の賢夫人として敬愛され、第2代藩主定勝(景勝の庶長子)を始めとする後世の歴代藩主たちも武田家を丁重に扱ったといわれる[3]。



文禄4年(1595年)からは豊臣秀吉への、関ヶ原の戦いの後は徳川家康への人質として京都伏見の上杉邸で、死去するまでの生涯を送った。上杉家は慶長3年(1598年)に越後から陸奥会津120万石へ転封となったが、菊姫は会津や関ヶ原の戦いでの敗北によって上杉家が移封された米沢へ滞在する事や暮らすことはもとより、京都を出ることすら一度もなかった。伏見へは、直江兼続正室のお船の方もともに下っている[4]。



慶長8年(1603年)冬より病床に伏し、翌9年(1604年)2月16日に上杉家の伏見屋敷で死去[5]。享年42。菊姫の死に接した景勝たちや、菊姫死去の報を聞いた上杉家の家臣たちの哀惜の有様について、『上杉家御年譜』には「悲歎カキリナシ」とある。



法名は大儀院殿梅岩周香大師。墓所は京都妙心寺亀仙庵(現隣華院)。後年米沢林泉寺にも墓碑が建立された。

栄耀と斜陽
景勝との夫婦関係については疎遠または不仲、あるいは冷え切った関係であるとする説も少なからずあるが、実際に残された記録などから判断する限り、景勝は菊姫に対して正室としての一定の敬意や心遣いなどを行っていると見られ、彼女に対する愛情や好意を終生抱いていたものと思われる。

慶長8年、豊臣秀頼と千姫との婚儀に際し上洛した景勝は、そのまま翌慶長9年8月21日に帰国の途につくまで伏見に滞在しているが、この間の同年2月に、米沢から駆けつけた義弟武田信清と共に菊姫の死を看取ることとなったと思われる[6]。『上杉家御年譜』には、菊姫の看病のため、信清が急ぎ上洛したこと[7]、景勝が菊姫の病気平癒のため神社仏閣への祈願を行ったり、名医を招いたりしたことや、菊姫の死に際して深く悲しんだ有様についての記述がある[8]。



米沢などに伝わる俗説として、景勝が側室四辻氏を密かに米沢城に入れ、これを枕席に侍らせて情を与え、景勝の子供を妊娠させたことに深い恨みと失意を抱いた菊姫が、嫉妬と悲憤の余りに自害したという話や、四辻氏が死亡した原因は、激しい孤独と嫉妬から来る煩悶の末に死に、怨霊と化した菊姫の亡霊による祟りであるという話などがあるが、これらは定勝の生誕時期と菊姫・四辻氏の死亡時期が偶然重なったことから唱えられたものに過ぎず、根拠は乏しい。



歌舞伎の『本朝廿四孝』のヒロイン「八重垣姫」は菊姫がモデルとされる。

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大河ドラマ「天地人」 菊姫と勝頼

今が、ますます幸せだと気がツクには340号
大河ドラマ「天地人」 菊姫と勝頼


大河ドラマ「天地人」第16回「信玄の娘」で
いろんな説があって、はっきりとは分かっていませんが
たぶん、武田信玄公の六女、母親は油川夫人で、松姫の妹になる
菊姫が、上杉景勝と結婚しました
武田家と上杉家の同盟、政略結婚したのです

また、この結婚を決めたのは
母は違いますが、俺の前世、兄である武田勝頼ですが
勝頼と菊姫とも、いろんな因縁があります

というのも菊姫は、信玄公が決めた
一向一揆で有名な伊勢長島の願証寺家の将
おそらくは跡取りの顕忍と結ばれるはずだったのですが
信玄公が亡くなった後、伊勢長島は、織田信長によって
包囲されて、全滅させられています
皆殺しにあったのです
それで、顕忍も討たれて
婚約は、自然に解消となったのです

また、この時に、武田勝頼は
同盟していた大切な伊勢長島の一向衆を
助けることはできませんでした
勝頼自体は、何とかしたいと思っていましたが
信玄公が亡くなった後、武田家は一枚岩で無くなっていて
とても、伊勢長島まで、軍を出す力はありませんでした

その中で、家臣の真田昌幸は、武田家の水軍を使って
伊勢長島を海から助ける策を提案したそうですが
これも、信玄公を作り上げた武田水軍が
破れたら、どうするかという一族・家臣の反対で
実現することはできませんでした
武田勝頼は、伊勢長島の一向衆を
見捨てることになっているのです
この時に、勝頼は、婚約者のことを
必死で救おうとしている菊姫にも
いろいろ頼まれていますが
どうすることもできなくて
妹を悲しませているのです

しかし、そんな菊姫ですが
上杉景勝に嫁いでからは
翌年、武田家が滅亡してからも
ずっと上杉景勝の正室として
大名の婦人として不自由な暮らしはあっても
幸せな人生を送って頂いています
残念ながら子供は、できませんでしたが
甲斐御寮人と呼ばれて、
質素倹約を奨励した才色兼備の
賢夫人として敬愛されているのです

しかも、菊姫が、上杉家にいたことで
武田家が滅亡した時に、上杉家を頼って
信玄公の七男、武田信清や武田家臣も助かっていますし
菊姫のおかげで、武田信清は
上杉家では大切にされて
上杉家一門・高家衆筆頭として3300石を領し
米沢武田家として栄えました
すべては、菊姫の力なのです

だから、勝頼の御霊としては
本当に、妹、菊姫には感謝しています
武田本家は、二男だった、盲目の竜芳の元で
いろんな危機があっても、続くことはできていますが
それでも、武田家の子孫を守ってくれた
菊姫には感謝で一杯なのです

また、そんな俺ですから
今回の大河ドラマ「天地人」で
妹の菊姫が、初めて、夫である景勝と初夜を迎える時に
必死で、武田家のことを守ろうとしてくれた姿には
感動しました

「父信玄亡きあと、武田は家運を取られ
今や他国につけねらわれるありさま
今、頼れるは、上杉のみ
どうか、お力を
何があっても、武田を助けると
お約束頂きとうございます」
と、必死で、武田家の
上杉景勝に頭を下げた菊姫の気持ち
自分は、その為に嫁いだと必死だった妹に
不甲斐ない兄として、本当に、感謝したいと思います


そして、「そなたの肩には、武田の行く末がかかっている」
と送り出した、勝頼ですが
菊姫は、その重責を十分に果たしてくれたと思います
武田家を助けることはできませんでしたが
十分なお役を、果たしてくれています
今は、関ヶ原の戦いの後の
上杉家の大きな危機を
夫、上杉景勝を支えて
見事に乗り越えた菊姫の御霊に
兄としてお礼を述べて
終わりたいと思います

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