昭和改元

                 昭和改元

天皇嘉仁(よしひと)は、大正15年(1926)12月25日午前1時25分、心臓麻痺により死没した。
摂政(せっしょう)裕仁(ひろひと)はただちに践祚(せんそ)し、午前3時15分から葉山御用邸で剣璽渡御(けんじとぎょ)の儀を行い、皇位を継承した。
若槻礼次郎内閣は、御用邸で閣議を開き、新年号(元号)を「昭和」と決定し、新天皇に上奏した。
天皇はただちに枢密院に諮詢(しじゅん)した。
枢密院は午前6時から御用邸で会議を開き、26日午前11時原案通り決定し、即日、改元の詔(みことのり)が発せられ、12月25日以後を昭和元年とした。
昭和元年は、一週間しかなかった。

   (大系日本の歴史 14 二つの大戦 P157)