(葛飾区)
京成電鉄金町線の柴又駅。改札を出ると、柴又を舞台にした映画「男はつらいよ」の主人公「寅さん」の銅像が出迎える。右手に行けば帝釈天(たいしゃくてん)の参道だが、「葛飾区郷土と天文の博物館」学芸員の谷口栄さん(53)が案内してくれたのは、左手へ3分ほど歩いたところにある柴又八幡神社。社殿が立つ土盛りが柴又八幡神社古墳だ。
「ここは柴又の聖域」と谷口さん。境内にはクスノキやイチョウの大木がそびえ、にぎやかな帝釈天と対照的なたたずまいだ。
墳丘は社殿改築のたびにならされ、周りの道路から1・2メートルほどの高さ。一見して古墳と気づかない。
1965(昭和40)年の社殿新築の際、石室の一部が露出しているのが見つかった。発掘調査の結果、人骨や埴輪(はにわ)、土器、鉄製の直刀や馬具の破片などが出土した。88〜2003年にわたる6次の学術調査で、全長約30メートルの前方後円墳で、後円部の高さは2〜3メートルあり、6世紀末〜7世紀初めに造られたことがわかった。周囲をめぐる溝や埴輪の列も見つかった。
古墳を一躍有名にしたのは、01年夏に出土した「寅さん埴輪」だ。前年の調査で女性埴輪が発掘され、寅さんの妹にちなみ「さくらさん埴輪」と話題になった。ほぼ同じ場所から、つば付きの帽子をかぶる男性埴輪の頭部が現れた。細い目が寅さんそっくり。くしくも、出土した8月4日は、96年に亡くなった寅さん役の俳優、渥美清さんの命日だった。
「現在の隅田川東岸から東、江戸川西岸まで広がる『東京低地』は、徳川家康が江戸に入った1590年(天正18)まで何もなかったかのように言われるが、それは違う」と谷口さん。その約千年前、見事な埴輪列をめぐらせる前方後円墳を築いた有力者が葛飾の地にいたのだ。
どんな人物だったのか。手がかりは石室の石材だという。石材は千葉県富津市付近で採れる「房州石」。海路で運ばれたとみられる。房州石を使った石室は千葉県から埼玉県にかけて分布する。
「当時の柴又は海上交通と旧利根川水系の内陸水運を結ぶ場所。すぐ南には古代の東海道が延びていた。古墳に葬られたのは、南北の水上路と東西の陸路が交わる要衝の支配者だろう」
谷口さんはそう考える。(鬼頭恒成)
<葛飾区郷土と天文の博物館> 柴又八幡神社古墳の「寅さん埴輪」など人物埴輪や馬形埴輪ほかの出土物が展示されている。休館は月曜、第2・4火曜(祝日の場合は開館し、翌日休館)。午前9時〜午後5時(金、土曜は午後9時まで)。入館料は大人100円。問い合わせは03・3838・1101。
【写真説明】
柴又八幡神社の社殿は古墳の上に立つ=葛飾区柴又3丁目