道標のある石造物
市内五ヶ所
小平市隣接一ヶ所
市内
奈良橋庚申塚 庚申塔(享保16年・1731)雲性寺
板東秩父西国百ヶ所巡礼供養塔(安永元年・1772)雲性寺
蔵敷庚申塚石柱(造立年月不詳)
西谷ッ地蔵尊(明治15年・1882)
狭山霊性庵馬頭観世音(文化元年・1804)
小平市隣接
青梅橋庚申塔(安永5年・1776)
道しるべ
市内に現存する道しるべは次の五基の石塔である。年代の古いものから上げる。
㊦享保十一年(一七二六)庚申供養塔 享保16年(1731)が正しい
安島
奈良橋庚申塚に祀られていた庚申塔の台石に、道しるべが刻まれている。台石正面「東江戸道」、台石右「北くわんおん道」台石左「南府中道」「西右 中藤 左青梅」とあり、建立された当時(享保16年・1731 資料編9では11年・1726)の道名がよくわかる。
東、江戸道は九道の辻を経て田無、江戸へと向かった
北、「山口観音」へ行く道で、八幡神社の東側を通り内堀から山口に抜けた
南、府中道は青梅橋を通り府中の奈良橋道に繋がった
西、右中藤は武蔵村山市中藤への道で、当時は広域道であったことがわかる。現在では4~50㍍ほどの距離を感ずる が、当時はすぐ右に入ったのであろう。芋窪の「四街道」(よつかいどう)を通過し、ヨコ街道の名が同感できる。ヨコ街道の始点であったのだろう。
左、青梅は最初の青梅街道=江戸街道を示す。
(台石彫刻)
北くわんをん道(山口観音)
東江戸道(新青梅街道)
東府中道(青梅街道)
西
中藤(四つ街道経由)
左青梅(新青梅街道)
奈良橋の庚申塚にあったもので現在は雲性寺門前に移っている。
⑦安永元年(一七七二)坂東秩父西国百ヶ所巡礼供養塔
台石右リ所沢 川越
左やまくち みかしま
他所より移したもので雲性寺前にある。
◎文化元年(一八〇四)馬頭観世音
右 町谷、所沢
左 山口くハんおん
嶺松庵地内にある。もとの在処は不明。
㊤明治十五年(一八八二)地蔵菩薩
右 山口 所沢
南 砂川 八王子 道
北 三ヶ島 扇町谷
芋窪の西八つを登りつめた、いわゆる笠松峠にある。周囲道路で遮られているが、フェンスの向うに旧道が残っている。北へ向う笠松坂で、道標に従って石川から山を越すと三ヶ島、扇町谷へ通じる。この道標は、建立当時のまま残るものである。
この外、市境の小平市側にある堂内に道しるべを刻んだ庚申塔がある。東大和市駅付近の交差点は、もと青梅橋という橋が野火止用水に架っていて、昔から交通の要所であった。道標が必要な場所である。刻銘には
東 江戸 西おうめみち
道
南八王子 北 山くちみち
安永五年(一七七六)の造立である。
㊧造立年月日不詳道標
右 砂川 道
八王子
左 小川
府中 道
蔵敷の庚申塚の入り口にある。刻銘から見る限りでは、造立当時からこの場所にあったものと思われる。
(道と地名と人のくらしp14~37)