101ばばあのふところ

101ばばあのふところ

 蔵敷には、昔から「ばばあのふところ」といわれる場所があります。
 蔵敷バス停から、少し西によったところを、山側に入ると弁天社があります。その右手の山あいのくぼ地に、奥深く広がる場所で、自然に風を防ぎ日当りもよく、ちょうど乳母のふところのような地形です。狭山の栞に「姥がふところ」とあるのがここの事と思われます。

 ここに長年住んでおられる島田茂吉さんは、よく他所の人に「あんたのところは暖かいよ、ばばあのふところだからな」と言われるそうです。また、奥さんも「あそこは、ぬくいので昔から心も体も安心して休める場所なんですよ」といっておられます。
 島田さんが子供のころは、赤松の古木が大きく茂り、萩、じじばば(春蘭)、みつばつつじ、狼つつじ、きれんげ、鉄砲百合などがきれいに咲いておりました。
 ここで、男の子達は戦争ごっこなどをして遊び、女の子は、弟や妹のお守りをしながら、つみ草や、きのこがりなどをしていました。夕方になると、弟妹の手を引きながら、ざるに一杯になったきのこを持って、家に帰って行きました。

 山の方から、突然野うさぎが走ってきたり、大木の上では、気の強いリスとカラスがけんかをしていた事もありました。
 ここの主でしょうか? 以前から、直径約十センチメートル、長さ二㍍の山かがし(赤蛇)がすんでいます。春になると時々顔を見せますが、人間に危害を加える事はありません。湧水で出来た池の辺りがすみかのようです。
 このばばあのふところも戦争中に防空壕を掘ったため穴がたくさんてきてしまいました。
(東大和のよもやまばなしp218~219)