14はだか参り

14はだか参り

 囲炉裏の火が恋しい寒のうち、氷った大気を裂くように鈴の音が聞えて来ます。はだか参りの人が走ってゆくのです。
 はだか参りは、寒中に、はだか同然の白いシャツかじゅばんに、さる股といういでたちで神仏に参ることで、寒参りとも言いました。

 この辺では、東村山の野口のお不動様とか、貯水池が出来る前の谷つの村では、山を越えて山口観音へお参りをしました。寒に入ると、三七、二十一日間で二月三日の年取り(節分)に満願になるように始めます。
 奈良橋の大工氏井福松さんは信心深い人でした。立派な棟梁になれるように野口へ三キロメートル弱の道を小足に駆けて行く姿は、人の目についたものでした。その頃の志木街道は砂利道でしたから、鬼足袋(おにたび)とか、こうずたびとかいうじょうぶな、はだし足袋をはいていました。
 大きな声で言えないことでしたが、徴兵検査を控えた若い衆が、兵隊のがれを祈って走ったこともあったそうです。

 街道筋でも暮れれば今のように明るくない昔のことですから、まして山を越える山口観音への道は大のおとなでも淋しかったことでしょう。宵の口の山道を、たすきのようにした鈴を二つ三つ、腰にさげて提灯(ちょうちん)をたよりに二、三人連れ立って走って行ったそうです。今より一段ときびしかった寒中でも、一心に駆けていると体中が汗びっしょりになりました。信心と一緒に、さわやかなジョギングの効果もあったことでしよう。
 明治末から大正はじめ頃のことです。(p32~33)