14木綿絣

14木綿絣

タイトル:木綿絣
場所:東大和市多摩湖下貯水池
設置日:平成7年3月
材質:ステンレス、コールテン鋼
サイズ:H1400×W1700×D1700センチメートル

 昔・東大和市では機織りが盛んでした。藍染の木綿絣がほとんどで、江戸の頃から、明治、大正となるにつれて生産が増えました。白い綿糸十二反分を輪にして、ところどこをくくり、藍がめで染めつけ、絣模様を作りました。このくくり方の間隔で絣模様が変わります。染め場には、藍がめが何十個もあります。藍玉をかめの水によくとかし、染め付けを良くするために、押麦、米、灰、酢などを入れ、よくかき回します。かめに入れ綿糸を引き上げて絞り、何度も打ちつけて乾かし、また次のかめに入れます。

 こうした作業が繰り返されて濃い紺色に染め上がります。染め上がったら、つぼ(織子)に出します。織手の娘たちは、朝五時ころから、夜十時ころまで織り続けます。朝食前に三、四尺織り、一日に一反織って一人前と言われました。この木綿絣は、時代の流れとともに、人々が洋服を着るようになると需要が減り、次第に織られなくなりました。
―東大和のよもやまばなしから―

 この作品は、木綿絣をイメージし、東大和市美術工芸品設置事業の一環として製作したものです。
 平成六年度製作


関連モニュメント

7. 繭



タイトル:繭(まゆ)
場所:東大和市芝中中央公園
設置日:平成4年10月26日
材質:ブロンズ、黒御影石
サイズ:H2000×W700×D700センチメートル

(作品紹介)
 昔、東大和市の農家では、養蚕(ようさん)が盛んに行われていました。養蚕とは、蚕蛾(かいこが)の幼虫である蚕が作った繭(まゆ)を糸にして売るために蚕を飼育することです。
 昔は、農作物だけでは収入が少なく、不作だと半年や一年は苦しむこともあったため、養蚕は農家にとって貴重な収入源にもなっていましたので、蚕のことを「オコ様」とか、「カイコ様」と呼んでいました。
 そのため畑には蚕の餌になる桑が一面に広がっていました。蚕を飼っている農家では、特に七月の下旬から八月二十日頃までは初秋養蚕で忙しく、九月は晩秋養蚕で大わらわでした。