23. 高木の獅子舞い
高木の獅子舞
「大正八年頃のことです。芋窪から塩釜様のお祭を見に行ったことがありました。その時思いがけず獅子舞をやっているのを見たのです。四月十五日の晩でした。十七、八の頃で、高木の獅子舞を見たのはそれが始めてでした。嫁時代は身持(妊娠)すれば塩釜様へ参るものとされていましたから、何度となく行きましたが、獅子舞はこの時以来見たことはありません。
神前に竹を四本立て、それに注縄を張りその中で獅子が三人(男獅子二人と女獅子)と狐一人が踊ります。みんなわらじをはいていました。小学校六年位の男の子が四人、緋を着て前掛をかけ、まわりに布を下げた花笠をかぶった「ささらすり」に扮してよすま(よすみ)に立っていました。ほかに笛や唄うたいが五、六人いました。
その頃は役場が高木神社の境内にありましたから、そこで大勢集ってはん台に赤飯を盛っていました。獅子はここで仕度をします。
役場から獅子の踊る神前までは、すぐじみち(近道)があるのですが、練り歩くために大廻りして繰り込んできます。
松山の松にからまる 蔦の葉も
縁がつきれば ころりほこれる
唄に合せて拍子よく、ずっつこ、ずっつこ、ずっつこ、つっと鳴らす竹のささらの音が今も鮮かに耳に残っています。
これは今年八十一才の野ロトメさんが語る獅子舞の有様です。高木の古老の話では、高木神社の大祭に淋しいからと言って獅子舞を出したことが一、二回あったそうですから、これはその時のことでしょう。
高木の獅子舞は市の文化財に指定されていますが、どこでも同じように後継者問題が悩みのようです。(『東大和のよもやまばなし』p135~136)