25雹の話
この辺は雹(ひょう)の多かった所のようです。雹が降れば作物が被害を受けます。農家にとっては大変なことですから降らないように代表が榛名(はるな)神社までお参りに行きました。
雹は榛名や戸隠(とがくし)の方から来るといわれ、空が急に暗くなると雹が降ります。地域的に集中して降ったようです。
明治の終り頃、雹が二十センチメートル位つもる程降ったことがありました。畑で大きな雹に降られ、頭をかくすためにこやし桶(おけ)をかぶった事もあったそうです。麦はとび散って全滅です。土も冷えてさつま芋の苗を植えても葉が赤くならず、芋も太りませんでした。草屋根のくさった所に雹が当り、穴があいて雨もりするようになってもふく草もとれず、屋根にむしろなどをかけてしのいだ事もありました。その時は何日もとけないで残りました。
雹災資金を借りたのもその時です。何人か連帯でお金を借り、何年かかかって返しましたが一人が返せないと皆で払わなければならず、年限が来ても返すのは大変なことでした。
昭和になってからも奈良橋辺で沢山降り麦がちぎれた事がありました。いつも麦やさつま芋が被害を受け、たたかれた青葉が窪(くぼ)にたまりくさくて気持の悪い臭いの中で子供は長靴をはいて歩き廻りました。雹荒れといいました。
その頃秩父宮がおしのびで来て庚甲塚あたりで雹やどりをされました。宮様は村の麦の惨状(さんじょう)を見て
「またまけばいいでしよう」。
とおっしゃったそうです。
石神(要石 かなめいし)のもみそを伐って材木屋に売ってしまい、ばちが当って雹の降った事もありました。
いろいろ雹には悩まされましたが、貯水池が出来て水がたまると気流の関係でしょうか降らなくなったそうです。(p55~56)