28砂利穴

28砂利穴

 昭和のはじめ、桜街道の道のふちに砂利穴がありました。穴は一丈(いちじょう 三メートル)くらいの深さで、五十メートルおきに、砂川にかけていくつも続いていました。会社帰りの人が落ちたこともあったそうです。現在、新青梅街道沿いにある大型スーパーの北あたりにもあって、ここから砂利を取り、青梅街道の道普請(道路の補修)に使いました。

 砂利穴は、直径二、三メートルほどで、井戸より一回り大きかったそうです。場所によって差はありますが、三メートルから、十メートルほど掘ると赤い砂利が出ました。それをモッコで担ぎ上げ、大八車に乗せて引いて歩き道に敷きます。砂利が掘り切ると次に移動していき、あとは草の捨場になっていました。

 昔は道が悪く、また痛みかたもひどかったようです。長雨が降ると泥沼のようになりました。当時、道普請は年一回、三月頃部落ごとに行われました。人足(にんそく)は、各家から一人つつ出ましたが、男手のない家では、日当を出して代ってもらい、または食事の世話にまわりました。
 現在、七十歳前後の方が青年団におられた頃のことです。(東大和のむかしばなし p61)



砂利穴