80 娘っこに化けた狐

80 娘っこに化けた狐

 昭和のはじめごろはまだ、三光院の西側の辺りは小高い山になっていました。ならやくぬぎが生い茂る中に一本、ろうそく形の杉の木がひときわ高く、にょっきりとそびえ立っていました。一里(四キロメートル)四方どこからでもよく見えて、人々は「清水の大杉」とよんで方角を知る目じるしにしていました。

 秋も深まった十一月のある夜、清水に住む五十なかばの男の人が、村の寄合いが終って家に帰ろうと、十二時ごろこのあたりを通りかかりました。ちょうどその時、風もないのに持っていたちょうちんの灯がふうっと消えて、月あかりの中にぼんやりと大杉の傍に立っている若い女が目に入りました。「はて、見なれない娘だが……。こんな時間にどうしたことか。」

と不審に思いながらふり返った時、もうそこには娘の姿はありませんでした。

 そのうちまるで洪水でもあったように、足首のあたりまでどっぷりと水につかって、氷りつくような冷たさです。ほんの一足の所にあるはずの家になかなかたどりつきません。ふと気がつくと、なんと空堀川の中を遡って歩いているではありませんか。これはどうしたことかと、とにかく川の中から這上り、遠くに見えた明りを目ざして夢中で歩きました。

 漸く着いた所が、昼夜兼行で突貫工事を進めていた南街の大工場の建設現場でした。本人は一体ここがどこなのかまったくわからず、狐につままれたとはこの事かと目をこすりました。

 さんざん歩きまわって、もう午前三時を過ぎていました。まっくらでは馴染の大杉も見えず、清水の方角は皆目見当もつきません。工事人の指さす方へと、半分もうろうとしたまま疲れた足をひきずり、やっとの事で清水の部落につきました。けれど自分の家がどうしてもわかりません。思い余ってよその家の戸をたたいて自分の家を教えてもらい、やっと我が家に落ついて正気に戻りました。
 「あの娘っこが狐だったんだべ」
(p176~177)