【モニュメントマップ】
市内のあちこちに、美術工芸品(モニュメント)があるのをご存知ですか。東大和市では、都市景観形成事業の一つとして、これまでに27体のモニュメントを設置してきました。
芸術性を追求するだけでなく、市民の方が身近に感じて親しめるように、市内に伝わる「よもやま話」などを主なテーマとしています。
この地図を片手に、あなたの知らないモニュメントに出会ってみませんか?
1. 力石
タイトル:力石
場所:東大和市市民体育館前
設置日:平成2年3月27日
材質:御影石
サイズ:H180×W160×D100センチメートル
(作品紹介)
昔は、いまとちがって非常に楽しみが少なかったので、仲間が集まっては、力くらべをするのが楽しみの一つになっていました。
東大和市内の神社の境内などには、たいてい「力石」と言われる石が置いてあり、若者たちは、汗と泥にまみれ、競ってこの石を持ち上げました。
力石は、だいたい、20貫ぐらい(75キログラム)が普通でしたが、中には50貫(187キログラム)もある石があり、これを持ち上げれば、それこそ村中の話題をさらったものでした。
-東大和のよもやまばなしから-
2. 馬方勝っつぁん
タイトル:馬方勝っつぁん
場所:東大和市奈良橋市民センター内
設置日:平成3年3月19日
材質:ブロンズ
サイズ:H1200×W930×D340センチメートル,H1200×W350×D340センチメートル
(作品紹介)
今は、すでに湖底に沈んでしまった内堀集落に、お酒の好きな体格の良い馬方さんが仕事に来ていました。
その馬方さんは名前を「勝っつぁん」と言い、朝早くから馬車を引き、所沢の問屋から仕入れた注文の品物を、得意先に配達して回るのが毎日の仕事でした。
働き者の勝っつぁんは、お酒が何よりも楽しみにしていたので、時には酔っ払ってしまうこともあり、見かねた店の主人が馬に「家まで送っておくれ」と頼むと、馬はわかった様子で勝っつぁんが落ちないようにゆっくりと歩いていったということです。
3. 俵かつぎ
タイトル:俵かつぎ(たわらかつぎ)
場所:東大和市上仲原公園
設置日:平成3年3月15日
材質:白御影石
サイズ:H3500×D1500×W3000センチメートル
(作品紹介)
麦まきも終わり、畑仕事も一段落した「えびす講」の日(十一月二十日)には、村の青年団の運動会が行われていました。
大正八年、高木村外五か村組合が合併して大和村となったので、それまで各村々でやっていた運動会が合同で行われることになりました。どの競技も観衆をわかせましたが、中でも花形は六十キロの土俵(つちだわら) をかついで百メートルを走る俵かつぎ競争でした。
村一番の力持ちを決めるこの競争には、一段と応援の熱が入りました。
4. ふくろう
タイトル:ふくろう
場所:豊鹿島神社参道
設置日:平成4年1月28日
材質:黒御影石
サイズ:H1600×W600×D600センチメートル
(作品紹介)
豊鹿島神社の「けやき」は、樹齢千余年、神社の歴史と同じくらいといわれています。現在は、中ががらんどうになってしまい昔の面影はありませんが、昭和の初めまでは枝が大きく茂っていて、その周りを子供たちが十人位で手をつないでまわって遊びました。
当時は、人家も少なく、あたりが暗くなるとオッポッポ(ふくろう)がどこからか飛んできては、枝の上で眼を光らせていたので、通りすがりの若い娘たちを驚かせていたとのことです。
5. 高木の獅子舞い
タイトル:高木の獅子舞い
場所:東大和市高木神社
設置日:平成4年1月30日
材質:ブロンズ
サイズ:H2100×W1200×D900センチメートル
(作品紹介)
高木の獅子舞いは江戸時代より、毎年九月十九日の高木神社の祭礼に奉納されました。昔、悪疫が流行したとき、その退散を祈願して踊られたのが始まりと伝えられています。
獅子舞の行列は、高木神社隣、昔の明楽寺跡の社務所で支度をととのえ、村役の先導にて練り歩き、神社前庭に進んだのです。
杉の大木の繁る境内で、笛の音や、歌に合わせ演ずる獅子舞は勇壮なものでした。
6. 桜
タイトル:桜
場所:東大和市桜が丘
設置日:平成4年1月29日
材質:小松石
サイズ:H2300×W1200×D1000センチメートル
(作品紹介)
村山団地から東大和市駅を抜けて小平へ向かう旧青梅街道は、かつて江戸街道とよばれた美しい桜並木になっていました。
この桜並木は明治十五、六年頃に植えられ、小学校の遠足の場所でもありました。また、並木道を使って運動会が行われたりしたそうです。
この見事な桜並木も昭和二十年四月二十四日の空襲で付近がほとんど壊滅状態になり、大部分がなくなってしまいました。
市では、桜並木を復活させるため、この道路の街路樹に桜を植え、道路の愛称も桜街道としました。
7. 繭
タイトル:繭(まゆ)
場所:東大和市芝中中央公園
設置日:平成4年10月26日
材質:ブロンズ、黒御影石
サイズ:H2000×W700×D700センチメートル
(作品紹介)
昔、東大和市の農家では、養蚕(ようさん)が盛んに行われていました。養蚕とは、蚕蛾(かいこが)の幼虫である蚕が作った繭(まゆ)を糸にして売るために蚕を飼育することです。
昔は、農作物だけでは収入が少なく、不作だと半年や一年は苦しむこともあったため、養蚕は農家にとって貴重な収入源にもなっていましたので、蚕のことを「オコ様」とか、「カイコ様」と呼んでいました。
そのため畑には蚕の餌になる桑が一面に広がっていました。蚕を飼っている農家では、特に七月の下旬から八月二十日頃までは初秋養蚕で忙しく、九月は晩秋養蚕で大わらわでした。
8. きつねの嫁どり
タイトル:きつねの嫁どり
場所:東大和市仲原緑地
設置日:平成4年10月29日
材質:黒御影石
サイズ:H1700×W750×D750センチメートル
(作品紹介)
昔、村々に電灯のつかなかった頃のことです。遠く東京の空にネオンが明るく見えると、とても珍しくて「あれが東京だべ」と空を眺めていたそうです。
その頃「きつねの火が通るで見ろや、見ろや」と言われて狭山丘陵の方向を見ると、丘陵の尾根をポーッと赤い火がついたり消えたりし、いくつもいくつも並んで動いていることがあったそうです。
まるで嫁どりの時のちょうちん行列が歩いてくるかのように、見えたそうです。そしてふっと消えてしまうのだそうです。
9. 子供みこし
タイトル:子供みこし
場所:東大和市蔵敷公民館
設置日:平成4年10月29日
材質:白御影石
サイズ:H1650×W1000×D1000センチメートル
(作品紹介)
昔、蔵敷に子供だけのお祭りがありました。毎年養蚕が終わり、さつまいもを取り入れるまでの間に行なわれました。
祭りには、小学五、六年生の男の子が中心になって子供みこしをかついだそうです。
当日、みこしは、神主さんのおはらいを受け、二十人位でかつぎます。タスキに大きい子は大きな鈴を、小さい子は小さい鈴を五個づつつけて、シャン、シャン、シャンッと響かせました。家々を一軒一軒歩き、おひねり(祝い金)を集めたそうです。
10. 野球少年
タイトル:野球少年
場所:東大和市狭山公民館前
設置日:平成5年1月26日
材質:ブロンズ
サイズ:H2000×W1200×D700センチメートル
(作品紹介)
明治五年になると義務教育が始まりました。学校は、今までの寺子屋が仮校舎となり、五つの小学校ができました。その一つとして円乗院に喝力学舎(かつりきがくしゃ)ができました。
その頃、子供達は、木綿の着物に下駄か草履をはき、粉袋を開いた風呂敷には、弁当のさつま芋や学校の道具をくるみ、通学したそうです。
まだ野球は、はしりの頃で子供達は初めて行うスポーツに目を輝かせたそうです。
11. 用水工夫
タイトル:用水工夫
場所:東大和市野火止用水入口付近
設置日:平成5年1月27日
材質:ブロンズ
サイズ:H2500×W500×D650センチメートル
(作品紹介)
野火止用水は承応四年(1655)、徳川幕府の老中松平伊豆守信綱によってつくられ、小川村の分岐点(現在の小平市中島町)から新河岸川まで六里(約24キロメートル)を四十日間で堀り通したといわれる用水路です。この用水のおかげで、用水周辺の田、畑がうるおい、米の取れ高は十倍にもなったそうです。
また、美術工芸品の設置されたこの場所の町名は新堀といいますが、この掘りができたときに付けられたといわれる新堀という小字名を採用したものです。
12. 清水囃子
タイトル:清水囃子
場所:東大和市清水神社内
設置日:平成5年1月26日
材質:黒御影石
サイズ:H2000×W700×D700センチメートル
(作品紹介)
清水囃子は幕末に始まったそうです。その当時練習はなかなか大変だったようです。
農家が暇なのは冬ですから、どうしても練習は寒さが身にしみる時期に行われます。練習場所 は清水神社境内にありました公会堂でした。
毎日寒げいこが続いて、清水神社の森に笛や太鼓の音が響きました。
戦後の昭和28年に、しばらく途絶えていたお囃子が始めれれ、現在も清水囃子として引き継がれ祭礼や市の催し等で演じられています。
13. 藤兵衛さんと狼
タイトル:藤兵衛さんと狼
場所:東大和市中北台公園
設置日:平成5年3月27日
材質:黒御影石
サイズ:H1800×W2200×D400センチメートル
(作品紹介)
今は多摩湖になってしまった石川の谷に、昔、藤兵衛さんという腕の良い木こりの親方が住んでいました。
ある朝、いつものように仕事場へいこうと笠松坂(狭山丘陵の中にあった)を登っていくと、大きな口をあいて苦しんでいる狼が見えました。口に手を入れて、骨を取ってやると頭をひとつさげ森の中へ行ったそうです。それからというもの、狼は藤兵衛さんを朝晩送り迎えするようになりました。
藤兵衛さんは、狼が御嶽神社のお使いで大口真神(おおぐちまがみ)といわれていたので、自分を守ってくれた狼のためにお宮を造り、朝晩拝んだそうです。
14. 赤っ風
タイトル:赤っ風
場所:東大和市玉川上水駅前広場
設置日:平成5年3月25日
材質:鉄
サイズ:H4000×W3500×D1500センチメートル
(作品紹介)
「赤っ風になっちゃうかな」春先強い季節風が吹いてくると、村の人は気がかりでした。
大正の頃、桑畑や、茶畑が続いていた東大和市では、春先の強い季節風が吹いてくると土ぼこりで空が真っ赤になり、あたりはなにもみえなくなるほどでした。
この強い風が吹いてくると農家の家の中は土が一寸(三センチメートル)も積もるほど、土ぼこりのひどい所でした。この風を「赤っ風」といいました。
ところが、この赤っ風を心待ちにしている人たちがいました。待望の赤っ風が吹いてくると、畳二畳分の大凧を原に運び、大人が三人ががりで上げたそうです。
15. ごはん塚
タイトル:ごはん塚
場所:東大和市二ツ池公園
設置日:平成5年3月27日
材質:アルミ、ステンレス
サイズ:H2500×W2500×D2500センチメートル
(作品紹介)
今は、多摩湖の湖底に沈んでしまいましたが、内堀と呼ばれていた地にこさ池という池がありました。その池は、歌枕に残る「狭山の池」とも言われている池で、この辺では最も大きく、田を潤す農業用水として長い間人々に使われていたそうです。
このこさ池には、昔、新田義貞が、鎌倉を攻めた時にこの付近に陣を布き、こさ池の水を汲んで、ごはんを炊き、軍勢に食べさせたということです。食べさせた場所は、こさ池に近い山の上で、「ごはん塚」といわれ、当時の伝説にまつわる塚があったそうです。
16. へびのステッキ
タイトル:へびのステッキ
場所:東大和市南街5丁目栄公園
設置日:平成6年3月31日
材質:白御影石
サイズ:H1700×W750×D750センチメートル
(作品紹介)
第二次世界大戦の頃のことです。現在の玉川上水駅付近は、雑木林が続く少年たちの遊び場で、そこには、縞蛇(しまへび)や青大将(あおだいしょう)、地もぐりがたくさんいたそうです。
当時、地方から日立航空機に動員された青年の中に、へび取り器を使ってへびを捕まえるのが上手な人がいました。
取ったへびの肉は、串に刺して醤油をつけて焼いて食べたそうです。
また、残ったへびの皮は、水にさらして風とおしのよい場所で陰干しし、乾燥させると皮が棒にぴったり張り付いて、立派なステッキができたということです。
17. つけ木受け取りメモ
タイトル:つけ木受け取りメモ
場所:東大和市用水北緑地
設置日:平成6年3月31日
材質:黒御影石
サイズ:H1700×W800×D700センチメートル
(作品紹介)
昔、新青梅街道の南側には茶畑があり、お茶摘みの頃には、子供たちは茶摘みのアルバイトをしてお小遣いを稼いだそうです。
子供たちはお茶を摘んでは畑の持ち主に持っていき、マッチの代わりに火を付けるときに使う「つけ木」という端に硫黄のぬってある木片に日付とお茶の目方と手間賃を書いた受け取りのメモをもらいました。
そのつけ木のメモをお小遣いのもらえる日まで大事にしまっておいたそうです。
18. 狭山丘陵の古狸
タイトル:狭山丘陵の古狸
場所:東大和市水道緑地
設置日:平成6年3月31日
材質:ステンレススティール
サイズ:H2400×W500×D880センチメートル
(作品紹介)
狭山丘陵のくぼ地にあった農家が、養鶏をしていました。ところが、その農家の大切な鶏が毎晩一羽ずついなくなりはじめました。
ある朝、井戸の調子が悪いので、農家の人が井戸をのぞいてみると、そこには、何か黒いものが浮いていました。急いで引き上げると、なんとそれはころころと太った古狸だったそうです。
狭山丘陵にも以前は狸が沢山いましたが、最近ではめっきりその姿を見かけることはなくなってしまいました。
19. メリケン袋
タイトル:メリケン袋
場所:東大和市ファーマーズセンター
設置日:平成6年3月31日
材質:銅
サイズ:H2000×W2300×D1200センチメートル
(作品紹介)
大正時代の頃から、東大和にもメリケン粉(小麦粉)が出回り、どの家でもうどんを作っていたそうです。このメリケン粉が入っていた袋はとても重宝しました。
当時は、小学生が学校のお弁当にさつまいもを持っていくこともありました。そのお弁当を包んだのがこの袋で、風呂敷がわりにくるんで腰に結んで通ったそうです。
その他にもメリケン粉の袋は、色を染めて半てんにしたり、また敷布にしたりと、幅広く利用されたそうです。
20. つちんど
タイトル:つちんど
場所:東大和市湖畔第一緑地
設置日:平成6年3月31日
材質:ステンレススティール
サイズ:H3150×W3100×D2100センチメートル
(作品紹介)
今は貯水池に沈んでしまった村に、石川というところがありました。その村には池がたくさんあり、槌ヶ窪(つちがくぼ)の池もその一つです。
そこには、槌頭(つちんど)という頭が槌の形をした大蛇が棲(す)んでいました。これが、槌ヶ窪の地名の由来とも言われています。
しかし、江戸時代に池の廻りの木が伐採され、水かさが減ると、大蛇は姿を消し再び現れることはなかったと言うことです。これは「狭山の栞(しおり)」に書かれている伝説です。
21. あぼへぼ
タイトル:あぼへぼ
場所:東大和市水道緑地
設置日:平成7年3月
材質:スチール
サイズ:H4050×W6500×D1750センチメートル
(作品紹介)
昔は、穀物の豊作を願って小正月にあぼへぼの行事をしました。鉈(なた)や鎌(かま)を使って、背丈くらいの青竹の先を九本に割り、よくしなうようにするため火であぶります。その先に二十センチ位に切った、にわとこ、かつんぼう、(かつの木)、松などの木で穂や花を作り、さします。
のうてん(頂点)には、葉のついた小竹をさし、にわとこの木で作った花を三本さし、一年分計十二本飾りつけます。
きれいに飾った竹を、庭先の堆肥(たいひ)の山にさし、水とお米をお供え(おそなえ)して、一年間の豊作をお願いしました。
22. 火をふところに入れた法印さん
タイトル:火をふところにいれた法印さん
場所:東大和市清水集会所
設置日:平成7年3月
材質:御影石
サイズ:H1400×W1000×D1000センチメートル
(作品紹介)
江戸時代末期のことですが、清水に持宝院(じほういん)という修験(しゅげん)の法印(ほういん)さんが居ました。
一人の馬方が酒に酔って悪態(あくたい)をついてからんできました。相手の男は、「酒の肴(さかな)に」と言って、真っ赤におこった炭火(おき)を火箸(ひばし)にはさんで法印に差し出しました。持宝院は少しも騒がず、そのまま懐に入れてしまいました。お返しにと同じように炭火を差し出しました。こればかりは、普通の人に受けられるものではなく、相手は目を白黒させて謝って(あやまって)しまいました。
23. 木綿絣
タイトル:木綿絣
場所:東大和市多摩湖下貯水池
設置日:平成7年3月
材質:ステンレス、コールテン鋼
サイズ:H1400×W1700×D1700センチメートル
(作品紹介)
昔、東大和では、機織(はたおり)が盛んでした。藍染(あいぞめ)の木綿絣(もめんかすり)がほとんどで、江戸の頃から、明治、大正となるにつれて生産が増えました。
染め場には、藍(あい)がめが何十個もあります。かめに入れた綿糸を引き上げては絞り(しぼり)、何度も打ちつけて乾かし、また次のかめに入れます。こうした作業が繰り返されて濃い紺色に染め上がります。染め上がったら、つぼ(織子)に出します。
織手の娘たちは、朝五時ころから、夜十時ころまで織り続けます。朝食前に三、四尺織り、一日に一反織って一人前と言われました。
24. いのしし
タイトル:いのしし
場所:東大和市郷土博物館
設置日:平成7年3月
材質:黒御影石
サイズ:H1900×W1300×D700センチメートル
(作品紹介)
狭山丘陵は昔、いのししに多くの農作物や墓地が荒らされて、村の人達はたいそう困ったそうです。蔵敷には、次のような話しが伝わっています。
昔、御岳神社と奈良橋の八幡様の間の谷を「千光谷ツ」といい、そこに千光坊というお堂がありました。かたわらに墓地があって埋葬のたびに、山をこえていのししが来て掘り返してしまうので、困った人達はいのししの通り道に穴を掘って、その害を防いだと伝えられています。
25. 高木のまんじゅっ鉦
タイトル:高木のまんじゅっ鉦
場所:東大和市高木橋北側
設置日:平成7年3月
材質:銅、ステンレス、金箔
サイズ:H3500×W1750×D700センチメートル
(作品紹介)
大正の頃の高木には、一風変わった眺めを持った火の見櫓(やぐら)がありました。高さは十メートル足らず、下の方は腕が廻(まわ)らない位の檜(ひのき)の丸太で、一番上に枝木が打ちつけられ、直径四十センチくらいの鉦(かね)を鎖(くさり)で吊って(つって)ありました。この鉦が高木のまんじゅっ鉦といわれ、近隣にも知られる存在でした。
昭和四、五年のこと、鉄製の火の見櫓が建てられ、まんじゅっ鉦も半鐘に変わりました。その後、高木神社の蔵に納められた鉦は、再び、空襲を知らせる鉦として、南街の富士見通りに取りつけられましたが、今は残っていません。
26. 啓示
タイトル:啓示
場所:東大和市役所北側
設置日:平成8年3月
材質:ブロンズ
サイズ:H2000×W850×D1000センチメートル
(作品紹介)
人・自然・時を一つの形にし、時代をゆっくりと進もうという姿を表わしています。台の部分は大地を表し、その上で人々は手を広げ歓喜しながら前へ進もうとしています。
いつの時代にも忘れてはならない希望と夢が前進の原動力です。
-東大和のよもやまばなしから-
27. 鳥と子供たち
タイトル:鳥と子供たち
場所:東大和市駅前
設置日:平成8年3月
材質:ブロンズ
サイズ:H1400×W1230×D420センチメートル
(作品紹介)
元気に遊ぶ、無邪気(むじゃき)な子供たち。その姿は、いつの時代にも平和な日々を象徴しています。
陽だまりの中のこの風景に、子供たちと共に今を生きる大人たちの願いである平和で安らかな未来への夢を託(たく)します。