モニュメント総括1

モニュメント総括1


 市内のあちこちに、美術工芸品(モニュメント)があるのをご存知ですか。東大和市では、都市景観形成事業の一つとして、これまでに27体のモニュメントを設置してきました。
 芸術性を追求するだけでなく、市民の方が身近に感じて親しめるように、市内に伝わる「よもやま話」などを主なテーマとしています。
 この地図を片手に、あなたの知らないモニュメントに出会ってみませんか?

1. 鳥と子供たち
 場所:東大和市駅前 総括1設置日:平成8年3月
 材質:ブロンズ
 サイズ:H1400×W1230×D420センチメートル
(作品紹介)
  元気に遊ぶ、無邪気(むじゃき)な子供たち。その姿は、いつの時代にも平和な日々を象徴しています。
  陽だまりの中のこの風景に、子供たちと共に今を生きる大人たちの願いである平和で安らかな未来への夢を託(たく)します。

2、用水工夫
 場所:東大和市野火止用水入口付近 設置日:平成5年1月27日
  材質:ブロンズ
  サイズ:H2500×W500×D650センチメートル
 (作品紹介)
   野火止用水は承応四年(1655)、徳川幕府の老中松平伊豆守信綱によってつくられ、小川村の分岐点(現在の小平市中島町)から新河岸川まで六里(約24キロメートル)を四十日間で堀り通したといわれる用水路です。この用水のおかげで、用水周辺の田、畑がうるおい、米の取れ高は十倍にもなったそうです。
   また、美術工芸品の設置されたこの場所の町名は新堀といいますが、この掘りができたときに付けられたといわれる新堀という小字名を採用したものです。
-東大和のよもやまばなしから

3. あぼへぼ
 場所:東大和市水道緑地 設置日:平成7年3月
  材質:スチール
  サイズ:H4050×W6500×D1750センチメートル
 (作品紹介)
   昔は、穀物の豊作を願って小正月にあぼへぼの行事をしました。鉈(なた)や鎌(かま)を使って、背丈くらいの青竹の先を九本に割り、よくしなうようにするため火であぶります。その先に二十センチ位に切った、にわとこ、かつんぼう、(かつの木)、松などの木で穂や花を作り、さします。
  のうてん(頂点)には、葉のついた小竹をさし、にわとこの木で作った花を三本さし、一年分計十二本飾りつけます。
  きれいに飾った竹を、庭先の堆肥(たいひ)の山にさし、水とお米をお供え(おそなえ)して、一年間の豊作をお願いしました。
-東大和のよもやまばなしから-

4. つけ木受け取りメモ
 場所:東大和市用水北緑地 設置日:平成6年3月31日
 材質:黒御影石
 サイズ:H1700×W800×D700センチメートル
(作品紹介)
  昔、新青梅街道の南側には茶畑があり、お茶摘みの頃には、子供たちは茶摘みのアルバイトをしてお小遣いを稼いだそうです。
  子供たちはお茶を摘んでは畑の持ち主に持っていき、マッチの代わりに火を付けるときに使う「つけ木」という端に硫黄のぬってある木片に日付とお茶の目方と手間賃を書いた受け取りのメモをもらいました。
  そのつけ木のメモをお小遣いのもらえる日まで大事にしまっておいたそうです。
-東大和のよもやまばなしから-

5. 俵かつぎ
 場所:東大和市上仲原公園 設置日:平成3年3月15日
 材質:白御影石
 サイズ:H3500×D1500×W3000センチメートル
(作品紹介)
  麦まきも終わり、畑仕事も一段落した「えびす講」の日(十一月二十日)には、村の青年団の運動会が行われていました。
  大正八年、高木村外五か村組合が合併して大和村となったので、それまで各村々でやっていた運動会が合同で行われることになりました。どの競技も観衆をわかせましたが、中でも花形は六十キロの土俵(つちだわら) をかついで百メートルを走る俵かつぎ競争でした。
  村一番の力持ちを決めるこの競争には、一段と応援の熱が入りました。

6. 狭山丘陵の古狸
 場所:東大和市水道緑地 設置日:平成6年3月31日
 設置日:平成6年3月31日
 材質:ステンレススティール
 サイズ:H2400×W500×D880センチメートル
(作品紹介)
   狭山丘陵のくぼ地にあった農家が、養鶏をしていました。ところが、その農家の大切な鶏が毎晩一羽ずついなくなりはじめました。
  ある朝、井戸の調子が悪いので、農家の人が井戸をのぞいてみると、そこには、何か黒いものが浮いていました。急いで引き上げると、なんとそれはころころと太った古狸だったそうです。
  狭山丘陵にも以前は狸が沢山いましたが、最近ではめっきりその姿を見かけることはなくなってしまいました。
-東大和のよもやまばなしから-

7. きつねの嫁どり
 場所:東大和市仲原緑地 設置日:平成4年10月29日
  材質:黒御影石
 サイズ:H1700×W750×D750センチメートル
(作品紹介)
  昔、村々に電灯のつかなかった頃のことです。遠く東京の空にネオンが明るく見えると、とても珍しくて「あれが東京だべ」と空を眺めていたそうです。
  その頃「きつねの火が通るで見ろや、見ろや」と言われて狭山丘陵の方向を見ると、丘陵の尾根をポーッと赤い火がついたり消えたりし、いくつもいくつも並んで動いていることがあったそうです。
  まるで嫁どりの時のちょうちん行列が歩いてくるかのように、見えたそうです。そしてふっと消えてしまうのだそうです。
-東大和のよもやまばなしから-

8. へびのステッキ
 場所:東大和市南街5丁目栄公園 設置日:平成6年3月31日
 材質:白御影石
 サイズ:H1700×W750×D750センチメートル
(作品紹介)
  第二次世界大戦の頃のことです。現在の玉川上水駅付近は、雑木林が続く少年たちの遊び場で、そこには、縞蛇(しまへび)や青大将(あおだいしょう)、地もぐりがたくさんいたそうです。
 当時、地方から日立航空機に動員された青年の中に、へび取り器を使ってへびを捕まえるのが上手な人がいました。
  取ったへびの肉は、串に刺して醤油をつけて焼いて食べたそうです。
  また、残ったへびの皮は、水にさらして風とおしのよい場所で陰干しし、乾燥させると皮が棒にぴったり張り付いて、立派なステッキができたということです。

9. 赤っ風
 場所:東大和市玉川上水駅前広場 設置日:平成5年3月25日
  材質:鉄
 サイズ:H4000×W3500×D1500センチメートル
 (作品紹介)
   「赤っ風になっちゃうかな」春先強い季節風が吹いてくると、村の人は気がかりでした。
 大正の頃、桑畑や、茶畑が続いていた東大和市では、春先の強い季節風が吹いてくると土ぼこりで空が真っ赤になり、あたりはなにもみえなくなるほどでした。
   この強い風が吹いてくると農家の家の中は土が一寸(三センチメートル)も積もるほど、土ぼこりのひどい所でした。この風を「赤っ風」といいました。
   ところが、この赤っ風を心待ちにしている人たちがいました。待望の赤っ風が吹いてくると、畳二畳分の大凧を原に運び、大人が三人ががりで上げたそうです。
-東大和のよもやまばなしから-
 
10. 力石
 場所:東大和市市民体育館前 設置日:平成2年3月27日
 材質:御影石
 サイズ:H180×W160×D100センチメートル
(作品紹介)
 昔は、いまとちがって非常に楽しみが少なかったので、仲間が集まっては、力くらべをするのが楽しみの一つになっていました。
 東大和市内の神社の境内などには、たいてい「力石」と言われる石が置いてあり、若者たちは、汗と泥にまみれ、競ってこの石を持ち上げました。
 力石は、だいたい、20貫ぐらい(75キログラム)が普通でしたが、中には50貫(187キログラム)もある石があり、これを持ち上げれば、それこそ村中の話題をさらったものでした。
-東大和のよもやまばなしから-

11. 桜
 場所:東大和市桜が丘 設置日:平成4年1月29日
   材質:小松石
 サイズ:H2300×W1200×D1000センチメートル
(作品紹介)
  村山団地から東大和市駅を抜けて小平へ向かう旧青梅街道は、かつて江戸街道とよばれた美しい桜並木になっていました。
  この桜並木は明治十五、六年頃に植えられ、小学校の遠足の場所でもありました。また、並木道を使って運動会が行われたりしたそうです。
  この見事な桜並木も昭和二十年四月二十四日の空襲で付近がほとんど壊滅状態になり、大部分がなくなってしまいました。
  市では、桜並木を復活させるため、この道路の街路樹に桜を植え、道路の愛称も桜街道としました。

12. 啓示
 場所:東大和市役所北側 設置日:平成8年3月
  材質:ブロンズ
  サイズ:H2000×W850×D1000センチメートル
(作品紹介)
   人・自然・時を一つの形にし、時代をゆっくりと進もうという姿を表わしています。台の部分は大地を表し、その上で人々は手を広げ歓喜しながら前へ進もうとしています。
   いつの時代にも忘れてはならない希望と夢が前進の原動力です。
 -東大和のよもやまばなしから-

13. メリケン袋
 場所:東大和市ファーマーズセンター 設置日:平成6年3月31日
  材質:銅
 サイズ:H2000×W2300×D1200センチメートル
(作品紹介)
   大正時代の頃から、東大和にもメリケン粉(小麦粉)が出回り、どの家でもうどんを作っていたそうです。このメリケン粉が入っていた袋はとても重宝しました。
   当時は、小学生が学校のお弁当にさつまいもを持っていくこともありました。そのお弁当を包んだのがこの袋で、風呂敷がわりにくるんで腰に結んで通ったそうです。
   その他にもメリケン粉の袋は、色を染めて半てんにしたり、また敷布にしたりと、幅広く利用されたそうです。
-東大和のよもやまばなしから-
 
14. 藤兵衛さんと狼
 場所:東大和市中北台公園 設置日:平成5年3月27日
 材質:黒御影石
 サイズ:H1800×W2200×D400センチメートル
(作品紹介)
  今は多摩湖になってしまった石川の谷に、昔、藤兵衛さんという腕の良い木こりの親方が住んでいました。
  ある朝、いつものように仕事場へいこうと笠松坂(狭山丘陵の中にあった)を登っていくと、大きな口をあいて苦しんでいる狼が見えました。口に手を入れて、骨を取ってやると頭をひとつさげ森の中へ行ったそうです。それからというもの、狼は藤兵衛さんを朝晩送り迎えするようになりました。
  藤兵衛さんは、狼が御嶽神社のお使いで大口真神(おおぐちまがみ)といわれていたので、自分を守ってくれた狼のためにお宮を造り、朝晩拝んだそうです。

15. 木綿絣
 場所:東大和市多摩湖下貯水池 設置日:平成7年3月
 材質:ステンレス、コールテン鋼
 サイズ:H1400×W1700×D1700センチメートル

 昔・東大和市では機織りが盛んでした。藍染の木綿絣がほとんどで、江戸の頃から、明治、大正となるにつれて生産が増えました。白い綿糸十二反分を輪にして、ところどこをくくり、藍がめで染めつけ、絣模様を作りました。このくくり方の間隔で絣模様が変わります。染め場には、藍がめが何十個もあります。藍玉をかめの水によくとかし、染め付けを良くするために、押麦、米、灰、酢などを入れ、よくかき回します。かめに入れ綿糸を引き上げて絞り、何度も打ちつけて乾かし、また次のかめに入れます。

 こうした作業が繰り返されて濃い紺色に染め上がります。染め上がったら、つぼ(織子)に出します。織手の娘たちは、朝五時ころから、夜十時ころまで織り続けます。朝食前に三、四尺織り、一日に一反織って一人前と言われました。この木綿絣は、時代の流れとともに、人々が洋服を着るようになると需要が減り、次第に織られなくなりました。
―東大和のよもやまばなしから―

 この作品は、木綿絣をイメージし、東大和市美術工芸品設置事業の一環として製作したものです。
 平成六年度製作