下宅部遺跡(東村山市第6回現地説明会資料)

下宅部遺跡(東村山市第6回現地説明会資料)

1.遇跡の概要

 下宅部遺跡は、東京都東村山市
多摩湖町4丁目3・4番地および
その周辺に所在します。遺跡の北

には、狭山丘陵が広がり、また南
には北川が流れ、遺跡は北川に削
り出された丘陵の支丘の縁辺部か
ら、北川の河川敷にかけての場所
に存在しています。遺跡の周囲に
は、中の割遺跡、日向北遺跡、鍛
冶谷ツ遺跡、東村山市No,2遺跡な
ど市内の主要な遺跡が数多く確認
されています。

 調査対象地点は北川の左岸に位置し、北側丘陵から南へ向かって扇形に広がる小さな谷と、
その周辺部が該当します。現在は埋没してしまっていますが、縄文時代当時、谷は水流をとも
なっていたことが確認されており、丘陵中腹の湧水から流れ出ていたものと思われます。この
小支流と旧北川の本流とが調査区中央部付近で合流しており、こうした立地が下宅部遺跡がこ
の地に永く営まれることとなった重要な要因と考えられます。

 これまでの発掘調査の結果、縄文時代後・晩期(約4,000~3,000年前)と、古墳時代(約
1,400年前)、奈良・平安時代(約1,200年前以降)の遺構・遺物が発見されました。

 特に縄文時代では、丘陵部付近から粘土採掘坑や焼土跡などの遺構が、また低地部分からは
当時の川の流れ跡(河道)が何本も見つかり、そこからは水辺を利用するために木材などを組
み合わせた施設や、縄文土器や石器、飾り弓・丸木弓や本製容器、編み物などの木製品、当時
の自然環境や食生活を物語るトチノキやクルミなどの植物遺体やシカ・イノシシなどの獣骨が
数多く出土しました。

 また、古墳時代では、住居跡や当時の河道が確認され、土師器と呼ばれる土器や、竪杵(たてぎね)など
の木製品が出土しました。

 奈良・平安時代では、東西約12m、南北約5m、深さ約1.5mの楕円形の池状遺構が検出されま
した。池の中央には、杭と丸太材、「アシ」のような草本類からなる構造物が南北に横断してい
ました。池の中からは、「家成」などの文字や記号の書かれた墨書土器を含む須恵器や、横刀(たち)な
どの鉄製品、櫛や曲げ物、馬鍬(まぐわ)などの木製品が出土しており、これらのことからこの池が何ら
かの祭祀の場であったと考えられます。

 また、下宅部遺跡の約250m北西の地点から出土し、現在東京国立博物館が所蔵している瓦塔
と呼ばれる須恵質五重塔の屋根の一部分が、この下宅部遺跡から発見されています。

 以上のように、下宅部遺跡は、通常の遺跡では残りづらい有機質の遺物が発見されることか
ら、得られる情報も豊富なため、当時の景観も含めた、より具体的な人々の生活を復元できる
貴重な遺跡といえます。