丸山遺跡

丸山遺跡

②丸山遺跡

 丸山遺跡は奈良橋五丁目の空堀川が北へ蛇行する突端に位置する先土器時代の遺跡である。二万年から一万五千年前の遺跡と推定できる。

 この遺跡は一九八〇年(昭和五十五)までその存在が知られていなかったが、住宅建設に伴って周辺の塀をつくる際、切り落とした赤土のなかから二〇㌢大の丸石が三つかたまって発見されたことにはじまる。発見者は街道内(かいどうない)遺跡の土地所有者でもあり、自らが所有する同遺跡の遺物について、『月刊多摩湖の記録』第一二号に論文も著している市内高木の尾崎庄市さんである。

 丸山遺跡のある土地は蛇行した河道に沿って南側が小高くなっている。土地の人の話によると、この部分の土地は養分の少ない野土で、北側は反対に真土(黒土)が広がっているという。真土の形成地が旧河道であると解釈すれば、空堀川がこの部分でどんな河道の変化をみせてきたかがある程度わかる。

 ある日道を歩いていた尾崎さんは、削り落とされた道の脇の赤土のなかに大きな丸い石が顔をのぞかせているのに気づいた。「赤土のなかに丸い石が自然に埋まるはずはない。」と直感した尾崎さんは、このことを教育委員会社会教育課に通報。同年十月から緊急調査を開始した。赤土から顔をのぞかせた丸い石を見て遺跡の存在を直感した尾崎さんの知識と経験には敬意を表したい。なぜならこの調査の結果、東大和市内ではきわめて珍しい先土器時代の礫群が発見されたからだ。

 礫群は「集石遺構」とも呼ばれ、火を受けた痕跡のあるものは一般には石焼きによる食物調理施設と考えられている。この遺跡は、蛇行する空堀川が形成する地形の関係から、東西に隣接する街道内遺跡、丸山二の橋遺跡との関連を考える必要がある。

 なお、空堀川の河川改修工事が各所で行われており、丸山遺跡において近い将来工事が行われる場合は、さらに徹底した調査を実施する必要がある。