人口と世帯の推移
市勢概要2013p6
人口の推移
当市は、人口の急増期を過去2回経験し、それまでの純農村から勤労者中心の住宅都市へと大きくその姿を変えてきた。
最初の人口増は、昭和13年の東京瓦斯電気工業立川工場設立に伴う昭和15年から20年にかけてのもので、これは純農村であった当市に工場勤労者の社会増をもたらし、都市化への第一歩を踏みだす機となったといえよう。
第二の人口増は、昭和35年から47年にかけての公営・公社の住宅建設によるもので、都営住宅3,085戸、公社住宅2,837戸、西武住宅433戸、合計6,355戸が次々と建設された。これに伴い、人口も昭和35年の14,239人から47年の51,909人へと約3.6倍もの伸びを示した。
これは、当市が都心から35キロメートル以内、1時間通勤圏に位置し、首都圏のベッドタウンとしての好条件にあったことから、公営・公社や個人住宅の建設を招いたことによるものと思われる。
その後も、大和基地跡地への桜が丘団地建設(昭和61~62年、平成5年、合計1,000戸)や相次ぐ工場跡地へのマンション建設、また、平成12年1月に多摩モノレールの全線(上北台~多摩センター)開通により、沿線にマンションが建設されたことに伴い、人口増につながり、平成15年10月に人口8万人を超え微増傾向であった。
平成19年4月には、民間企業施設跡地へのマンション建設(約1,000戸)されたことに伴い、さらに人口増となっている。