八王子道
室町時代に遡れば、八王子に拠点を置いた後北条氏・氏照との連絡道であった。
サ 八王子道
蔵敷の旧字名に「八王子道」がある。新青梅街道に沿った南側で、今の八幡通りに、一部面している所である。市立八小の北側の旧字「長久保」とを分けている道が八王子道といわれた古道である。現在の地番でいうと立野一丁目九四〇番辺を通る。
市域を斜めに走る道で、西南に向うと真正面に富士の麗峰を臨める畑中の道であった。今は畑も残るが森永乳業の広い敷地内に取り込まれ、その先はモノレールの工事で空間まで占領されて、富士山を追う目も届かなくなっている。桜街道を横断するとしばらくは両側に少しばかり畑地が残っているが、行政法規印刷の北側を通り間もなく武蔵村山市内に入る。車も通るが道幅はせいぜい四㍍程である。立野から東北へ向う道は、八幡通りを越し、東大和高校の北を通り、新青梅街道へ出る。しばらくは街道を東進する。庚申塚を経て高木へ入るとすぐ、北へ入る道がある。広くはないが行くに従い古い佇(たたず)まいを見せ、新青梅街道の喧騒を忘れさせてくれる。高木橋で空堀川を渡りやがて狭山へ入ると清戸街道と合流する。この地点は三角山といわれていた。今は住宅が建っているが、昭和四十年代までは庚申塔が二基並んでいた。
高木の古老の話によれば、八王子道は以前は小高くなっていたが現在は削られているそうだ。東京聯隊の演習の時、所沢から八王子へこの道を軍隊が通ったり、炭を付けた荷付馬や二輪の車を挽いた馬力も通ったという。昭和の初めの話だ。
八王子道はまた大山参りの道でもあった。そして富士登山、伊勢参宮と、八王子経由の旅は当地ではこの道から始まるといってもよかった。
(東大和市史資料編9p32)