常覚院

常覚院
嘉永三(1850)年二月十三日

・2月13日、内掘の常覚院、当所日行を始む 指田日記上p210
 (東大和市狭山にあった修験で、代々愛宕神社の別当職を勤め、府中門善坊の配下)御霊明神の誤記

嘉永七年(1854)
閏七月廿七日 指田日記下p253
 内堀の常覚院、宅部の茂兵衛弟栄蔵と申す者を連れ来たり、神職に致し度き由を頼むにより許諾す、
浅井辰之助知行所名主鉄五郎、百姓茂兵衛弟栄蔵と申す者なり、此の度神拝式を伝えて北田嘉門と名つく


安政6年(1859)12月 指田日記下p6970
八日夜五ッ時(午後八時)、斎藤氏宅の蔵と本宅の間より火起こる、近所来て消す
九日 斎藤氏宅、両度火燃え起こる事不思議に付、親類相談の上、内堀の常覚院を頼み修羅加持(しゅらかじ)をなさしむ
十日昨日、修羅加持致しけるに、斎藤氏宅より三軒目に稲荷を勧請せば無難なるべしと中座の者申すにより、俗人一同これに伏し、三軒目の七右衛門裏に稲荷の社あり、此の社の内に稲荷を勧請し、奉幣は代々我が家にて勤むべき儀定あり

01修羅加持
修羅は阿修羅の略。仏教では天竜八部衆の一人として仏法の守護神とされる一方六道の一人として人間以下の存在とされる。加持は密教で印を結び、呪文を唱えて仏の加護を祈る呪法