御林山190
寛延四年(一七五一)三月 中藤村御林切払い願
差出シ申連判一札之事
一殿様より前度御用金八郎左衛門方江被仰付候、則八
郎左衛門方二而御用金差上被申候故、殿様御山先年
八郎左衛門方江御預ケ被遊、下草・落葉・下枝等被下
置候二付、御林地下草銭金弐両宛年々御上納被致、御
山大切二相守被申候故、松木生長致候故下草等無御
座、殊二木繁之所は立枯・虫喰・枯木出来候二付、是
より年々木数相減シ候計二而、御為メに相成り候儀無
御座候二付、平六被申候は、親八郎左衛門御願申候通
り、惣百姓中相談二而願上くれ候様二、去々年より被
申候二付、此度御願上可被申旨、惣百姓江願之趣被仰
聞候二付、殿様御為メと奉存候、惣百姓入札二而
も、御林木代金宜方二可被遊義御尤二奉存候、然共願
之儀候間、少々は江戸入用相懸り可申哉、可為其心得
旨為念被仰聞、是又御尤二奉存候、殿様御ため之儀
二御座候間、上木御払跡山百姓持御年貢地二成り共、
又は前々之通り御林二成り共、何れこも宜方御願上可
被下候、御山願之儀相背候儀無御座候、依之連判印形
仕差出申所、傍而如件
沼間内膳様御知行所
寛延四年未ノ三月
多摩郡中藤村
五郎左衛門 印
次郎左衛門 印 文右衛門 印
ミ郎右衛門 印 徳右衛門 印
孫右衛門 印 権重郎 印
与五兵衛 印 彦八 印
(後欠)
(歴史民俗資料館所蔵 渡辺源蔵家六六)
意訳
寛延四年(一七五一)三月 中藤村御林切払い願
差出シ申連判一札之事
一 殿様より前度(まえわたし)御用金を八郎左衛門方へ仰付なされました。
直ちに八郎左衛門方にて御用金を差し上げましたので、殿様は御山を先年、八郎左衛門方へ御預け遊ばされ、下草・落葉・下枝等を下さいました。
そのため、御林地の下草銭を金弐両づつ年々御上納致しました。
御山を大切に相守るように申されました。松木が生長致しましたので、下草等はなく、殊に木が繁った所は立枯・虫喰・枯木が出来ましたので、これより年々木数が相減ずるばかりで、御為めに成り難いので、平六が申します。
親の八郎左衛門が御願い申した通り、惣百姓中に相談した上で願い上げしてくれと、去々年より申しますので、
此度、御願上申すべき旨、惣百姓へ願の趣を仰せ聞かせたところ、
殿様御為めと存じます。
惣百姓入札にても、御林木代金宜方(よろしきほう)に遊ばされるべきこと、ごもっともに奉り存じます。
然れども願の儀候間、少々は江戸入用相懸ることも想定される。そのため心得るべき旨を念のためおおせ聞され、是れ又、御尤に奉り存じます。殿様御ための儀に御座いますので、上木を御払した跡山は百姓持 御年貢地になりとも、又は前々の通り御林になりとも、いずれでもよろしく、願をお聞き下さるようお願い致します。
御山願の儀あい背くことは御座いません、よって連判印形を差し出します。
傍而如件
沼間内膳様御知行所
寛延四年未ノ三月
多摩郡中藤村
五郎左衛門 印則
ミ郎右衛門 印 徳右衛門 印
孫右衛門 印 権重郎 印
与五兵衛 印 彦八 印
(後欠)
(歴史民俗資料館所蔵 渡辺源蔵家六六)
御林山には御林守が設置されていた。八郎左衛門は御林7町1反を管理するにあたり28両を上納し、下だえしたえ