文政の改革議定
改革議定
関東取締出役から村々へ提示された「御改革」の内容は前文四か条、後文四〇か条にわたる長文なものであった。熊川村における「組合村々取締其外議定連印書付」(石川彌八郎家文書)をみることにしよう。
前文では、文政九年(一八二六)九月の脇差・鉄砲など携帯者の乱暴に対する厳罰を内容とした触れをふまえた上で、
①五人組前書の遵守、
②神事・祭礼.婚礼・仏事の質素倹約、
③村々での歌舞伎・手踊り・操り芝居・相撲など人寄.せの禁止、
④百姓の商売禁止、を内容としている。
そして、後文は以下の四〇条からなっている。
①公儀法度を遵守すること。
②村高の増減により、三か村から五、六か村単位に小組合をつくり、小組合単位で議定書を遵守すること。
③宿町村で悪者などをおかないこと。もしそれらの者をおいた場合、捕獲された際の費用は、おいた当人が五分、組合が三分、当人の属する村から二分とする。さらに村で捕獲し、連行するときの番人足飯料金は組合で高割りとする。
④村内に立ち入った悪者は、その村で捕獲すること。手にあまる揚合は、小組合単位に協力し、連行するときの費用は組合高割りとすること。
⑤有宿悪者の捕獲・連行時の費用は、人別の村方から前項同様に拠出すること。
⑥浪人・船こぼれ・大小脇差携帯者に対する合力や宿貸しを禁止すること。
⑦浪人・船こぼれなど相対勧化の止宿を禁止すること。
⑧村々での強訴・徒党など企てがある場合には、即刻通告すること。
⑨組合村役人相互に監視し、博突・賭事を禁止すること。
⑩博変道具を商売している者がいたら連絡すること。
⑪村々での歌舞伎・手踊り・操り芝居・相撲など人寄せとなる催しを禁止すること。さらに若者どもの催しを組合村相互で取り締まること。
⑫旅芝居・百姓芝居を禁止すること。
⑬神事・祭礼・風祭を質素倹約にすること。
⑭出所不明の他所者をおかないこと。
⑮祝儀・不祝儀の仕来りは別として、上野(こうづけ)・武蔵の百姓が神社仏閣・好身(よしみ)への行き来の際の脇差携帯を禁止すること。
⑯婚礼を質素倹約にすること。
⑰婚礼その他に際しての若者のねだり行為を禁止すること。
⑱葬礼・仏事を質素倹約にすること。
⑲家業出精者に対する若者の非法行為を禁止すること。
⑳浦方・山方稼ぎ以外の新規商売を禁止すること。
㉑諸職人手間代の値上げをしないこと。
㉒村方寄合の際の酒食代を村入用に組み入れないこと。
㉓出役に対する馳走を禁止すること。
㉔取締出役・火付盗賊改め・道案内と称し、金子の合力を乞う者へは対応しないこと。
㉕御免勧化・従来の勧化を除く勧化に対して寄付をしないこと。
㉖無宿・無頼とも召し捕りまたは差し押えた後、無罪の者は教諭し、改心帰農する見込のある者は、引受け入を立てて引渡すこと。
㉗村内での心得違い人などをむやみに帳外(ちょうはずれ)とせず、教諭を心掛けること。
㉘宿町村の寺院や村役人の中で博奕に携わるものがいる風聞があったら、出役へ密告すること。
㉙無尽や富くじに類することは禁止すること。
㉚公儀・領主・地頭から追放となった者をおかないこと。
㉛村内で公事師(くじし)ととなえ、借金出入りなどむやみに訴訟におよぶ者がいたら密告すること。
㉜鑑札を携えた餌差どもがねだりがましい行為におよんだ揚合は、その者の所属をただし師匠やしかるべき筋へ申し出ること。
㉝鷹揚内における鳥を盗み取りし、商売にしているものがいたら通告すること。
㉞囚人一人に付縄二房以外の上納はさせないこと。
㉟囚人継ぎ送り用の目籠は一丁に付二貫文、山籠は一貫二〇〇文でこしらえること。
㊱囚人の飯料は一泊一四八文、一昼七二文以外の入用はかけず、無宿は組合村入用、有宿はその者の村方より出させること。
㊲一件引合の旅籠代一泊一八〇文、一昼七二文以下とすること。
㊳組合村へかかる無宿人の諸雑費はなるべく少なくし、年番村や親村へ届け、押切印形を請けること。
㊴一年に二回ずつの寄合を持ち、議定改めをおこなうときは、小組合内からは惣代の者を出させ、むやみに多人数の寄合をおこなわないこと。
㊵家業に励み、忠義孝行に心がけること。忠孝や奇特の者がいたら出役に申し出ること。
まさに、この内容は、化政を通じて出された農民取締に関する触書の集大成としての性格を持つもの(森安彦『幕藩制国家の基礎構造』)といえよう。この「御取締議定書」は、前文と後文とでその構成にも違いが見られる。それは、ともに村々役入から関東取締出役あてとなっているものの、前段では請書形式、後段では議定書形式となっていることである。つまり、改革組合村の編成に際し、組合村議定の内容を提示し、他律的に議定書という形で村々に取り決めさせたのである。前述した中間機構の性格変化とともに、従来の組合村が村々独自の要求を組織化する団体へと変化していた状況を鑑み、幕府は支配機構として制度的に位置づける組合村の設置を意図したものといえる。
(福生市史上巻p750~753)