東大和市の神社・寺院・札所一覧
東大和市内の現在の神社、寺院、札所の一覧です。
それぞれの神社、寺院、札所の詳細については、その箇所をクリックしてご覧下さい。
1神社
芋窪地域
・豊鹿島神社(鹿島大明神)
現在地 東京都東大和市芋窪一丁目2067番地
御祭神 武御加豆智命
創建伝承 707(慶雲4) 年
現・本殿創建棟札 1466(文正元)年 都内最古の室町建築物 東京都指定有形文化財(建造物)
・八雲住吉神社
旧地 芋窪三丁目1563番地付近
祭神、創建年代など詳細不明
村山貯水池内の石川地域にまつられ、貯水池建設と共に狭山丘陵南麓(芋窪)に遷りました。
境内に弁財天 雷明神 神明社の神名碑がまつられていました。
現在、道路拡幅の関係で移転中
蔵敷地域
・熊野神社 1558~1572 永禄年間 小島家文書では1533(天文2)年
・厳島神社 1569(永禄12)年 小島家文書では1588(天正6)年
・御嶽神社 祭神、創建年代など詳細不明
・日枝神社 祭神、創建年代など詳細不明
奈良橋地域
・八幡神社 創建不明 社殿再興1575(天正3)年説があるが、石川太郎右衛門寄付とあり、疑問
1689(元禄2)年、石川太郎右衛門・岸隼人によって拝殿が建てられるとする
・戦いによって宮が壊れようとしたとき、武士が露営した時、建て替えの夢を見て、村人に伝えて建て替えたとの伝承あり
高木地域
・高木神社 創建不明、1758(宝暦8)年 尉殿(じょうどの)神社の名称で再建
・塩釜神社
狭山地域
・狭山神社
天狗大明神
愛宕神社
御霊明神 1063(康平6)年 創建伝承あり
清水地域
・清水神社
・氷川神社 1214(健保2)年 創建伝承あり。狭山の栞が伝える棟札には大旦那「石井美作守」の名があります。著者は疑問符を付けています。
2寺院
・慶性院 1601(慶長6)年 開山承秀寂の寺伝
狭山の栞では開山尊承法印天文16年(1547)正月寂すとある
・蓮花寺 1631(寛永8)年 蓮花寺中興開祖・承雲入寂
・雲性寺 1439(永享11)年堂宇建設との伝承あり。天正元(1573)年、法印承永が再興
元禄年間(1688~1703)に、地頭石川太郎左衛門が新伽藍を整備
・円乘院 1159(平治元)年 開山法印賢誉入寂の伝えがある。(新編武蔵風土記稿)
徳治3年(1308)の板碑を有す
・三光院 1112 (天永3 ) 年 三光院開山円長没す 新編武蔵風土記稿
寺伝では 延文2年(1357)6月1日開山快光法印入寂とする。
開基の石井美作は延文4年(1359)に没。
3札所
参考
・豊鹿島神社(鹿島大明神) 創建伝承 707(慶雲4) 年
本殿創建棟札 1466(文正元)年 都内最古の室町建築物
・八雲住吉神社 祭神、創建年代など詳細不明
・熊野神社 1558~1572 永禄年間 小島家文書では1533(天文2)年
・厳島神社 1569(永禄12)年 小島家文書では1588(天正6)年
・御嶽神社 祭神、創建年代など詳細不明
・日枝神社 祭神、創建年代など詳細不明
・八幡神社 創建不明 社殿再興1575(天正3)年説があるが、石川太郎右衛門寄付とあり、疑問
1689(元禄2)年、石川太郎右衛門・岸隼人によって拝殿が建てられるとする
・御霊明神 1063(康平6)年 創建伝承あり(狭山神社に合祀)
・高木神社 創建不明、1758(宝暦8)年 尉殿(じょうどの)神社の名称で再建
・塩釜神社 尾﨑金座衛門が勧請 江戸末期~明治初期 尾﨑金座衛門宅から遷る
・氷川神社 1214(健保2)年 創建伝承。狭山の栞に大旦那「石井美作守」の名。(清水神社に合祀)
・慶性院 1601(慶長6)年 開山承秀寂の寺伝
狭山の栞では開山尊承法印天文16年(1547)正月寂すとある
・蓮花寺 1631(寛永8)年 蓮花寺中興開祖・承雲入寂
・雲性寺 1439(永享11)年堂宇建設との伝承あり。天正元(1573)年、法印承永が再興
元禄年間(1688~1703)に、地頭石川太郎左衛門が新伽藍を整備
・円乘院 1159(平治元)年 開山法印賢誉入寂の伝えがある。(新編武蔵風土記稿)
・三光院 1112 (天永3 ) 年 三光院開山円長没す 新編武蔵風土記稿
寺伝では 延文2年(1357)6月1日開山快光法印入寂とする。
開基の石井美作は延文4年(1359)に没。
豊鹿島神社
現在の本殿は、平成五年の大改修で文正元年(一四六六)の棟札が新たに発見され、安政五年(一八五八)に完成されたことと、『新編武蔵風土記稿』が伝えるように、現存する都内最古の神社建築であることも確認された。祭神は「武御賀豆智命」で武運長久、農業守護、国土開発神で、群雄割拠の中世武士団とのかかわりが推測される。
本殿を建立したのは「大工二郎三郎近吉」であることが「棟札」で確認されており、天文期、天正期、慶長期の修理は何れも「乙幡」姓で、「大工乙者太郎左衛門」「大工乙幡将左衛門秀吉」「番匠大工乙幡正左衛門」であった。
正保期の改修は大阪堺泉州の大工「高橋長右衛門源吉正」の記録もある。いずれも見事な棟梁で、昨今の強度設計偽造など論外と思うほど、見事な仕事振りである。
社殿に安置されている狛犬は、珍しい木製で、多摩地区では、大国魂神社(府中)や谷保天満宮(国立)などで見られる。境内は静寂で、瀧澤明神社・白山神社・愛宕神社など多くの末社が併祀されている。同社が地域信仰のメッカだったことが伺える。(青梅街道を歩くp74)