板碑が塔婆であった証拠

板碑が塔婆であった証拠

『狭山之栞』に記載p234
建武三年(1336)





道照の板碑 所沢市史研究第4号p10「武蔵国入東郡久米郷旧跡誌」考 平塚義角

平能行の孫道照は修験となって、正徳庵、天王社を勧請したことは村鑑の記述にのっているが、その物的証拠が天
保年間に出てきた。

建武三年正月十六日道照死去

という碑が正徳庵の地から出土した。「狭山の栞」に、
右碑は天保年間鈴木源八と云人照徳庵の魯地より穿り出し屋敷内に置く。

と出ている。従って、旧跡誌にも増補旧蹟誌にも載っていない道理である。この碑が久米記に載っていないところを
見ると、この碑は久米記成立よりはるか以前に埋没してしまっていて、久米記の編者の眼に触れなかったであろう。

平能行についてはp228に板碑と説明あり