板碑のいろいろ(東大和市)1
中世の人々は板碑を造りまつることによって
・故人の追善供養
・自分や家族、一族の現世、来世の安楽を祈願
したようです。
東大和市内に保存された板碑からはそれぞれの祈りと願いが伝えられます。
東大和市史資料編6には106枚の板碑が収録されています。特色ある板碑を紹介します。
檀家の方々が様々な催しや時節の折などに、個人、または連名で供養のために寄進したもののひとつが板碑です。そこには弥陀種子や種子を乗せる蓮台などと共に、年号が彫り込まれており、当時の方々の篤い信仰と瑞応寺の歴史の重みを感じさせます。瑞応寺には十三の板碑が遺されていて、これは足立区内では最多であり、歴史的にも貴重な文化財です。
中央には、「逆修教実」の四字が彫られてある。恐らく、信仰に厚い人が、生前に供養して、極楽浄土を切に願ったのであろう。
「右志者為比丘尼唯阿」、「弥陀佛現当二世成就」と刻む。
在俗出家して唯阿弥陀仏と号した女性が、自身の生存中に、当世の安穏と来世の成仏を願って、弘安九年(1286)に造立した。
最古
永仁二年(1294)東大和市立郷土博物館
三光院 南無阿弥陀仏
応安二年(1369)17
己
応安二年 日阿
酉
南無阿弥陀仏
正月一日 禅門
1369
『狭山之栞』に記載されているが、所在不明
文明16年(1482)
『狭山之栞』に記載 大日堂(杉崎家)
応永5年(1398)
逆修
生前に、自分の死後の冥福(めいふく)のために仏事をすること。
応無所住而生其心
本地法身法界塔婆
応無所住、而生其心 おうむしょじゅう にしょうごしん-
今回は、禅宗が大事にしている『金剛経』の中の、「応無所住而生其心」という一句について勉強しましょう。難しい漢字の行列ですが、「応(まさ)に住(じゅう)する所無くして、而(しか)も其の心を生ずべし」と読みくだします。
『舎利礼文』
一心頂禮。 萬德圓滿。 釋迦如來。 眞身舎利。
本地法身。 法界塔婆。 ||我等禮敬。 爲我現身
(いっしんちょうらい。 まんとくえんまん。 しゃーかーにょーらい。 しんじんしゃーりー)
(ほんじーほっしん。 ほっかいとうばー。 がーとうらいきょう。 いーがーげんしん。)
原文
一心頂礼 万徳円満 釈迦如来
真身舎利 本地法身 法界塔婆
我等礼敬 為我現身 入我我入
佛加持故 我証菩提 以佛神力
利益衆生 発菩提心 修菩薩行
同入円寂 平等大智 今将頂礼
読み下し文
一心に、万徳円満の釈迦如来に、頂礼したてまつる。
(釈迦如来の)真身の舎利、本地の法身[ほっしん]、法界の塔婆を、
我れ等が礼敬[らいきょう]すれば、我が為に身を現じ、入我我入す。
仏の加持の故に、我れ菩提を証し、仏の神力[じんりき]を以て、
衆生[しゅじょう]を利益[りやく]し、菩提心を発さしめ、菩薩の行を修して、
同じく円寂に入らん。 平等の大智に、今まさに頂礼したてまつる。
円乗院 文保三年8(1319)
光明遍昭
十法世界
念仏衆生
摂取不捨
狭山 竹内家6
市史資料編6p162
正和2年(1313)
右志者比丘尼
妙心往生極楽
乃到法界衆生
平等利益也
法界の衆生
ほうかいのしゅじょう
全世界の生きとし生けるもの