消防組

消防組

多摩湖の歴史 p287~288

消防組

 明治三〇年頃、寄付を集めて、手車の上にのせるポンプを買った。それまでは「竜吐水」(りゆうとすい)という簡単な道具を使っていた。初期消火はできていた。

 内堀と上宅部中堂近くに、消防小屋があって、版木(ばんぎ 火事を知らせる為に打つ板)とポンプを備えていた。半鐘(はんしよう)が内堀にあった。荒ケ谷戸では、小さいポンプがあり、火事の時は、内堀から消防団の人が来た。

 消防団員は、一戸に一人出した。「組頭」(くみと)が指示し、その下に「小頭」(こがしら)がいた。これらの役付きは有力の家の人がなり、伝統があって下っぱの人を役職につけることはしなかった。名誉職だった。
 内堀には組頭はいなかった。表狭山にいた。小頭は比較的家がらをいわれず、兵隊あがりの集団生活に慣れた人がやることが多かった。
 上宅部では、組頭に、五十嵐岩次郎(織屋をしている有力者)がなり、小頭は四人いた。