演説会新聞報道
史料13北多摩郡芋久保村昇隆学校での学術演説会を報じる記事1881(明治14)年5月10日
〈『東京横浜毎日新聞』第3118号)
○去る六日は神奈川県下北多摩郡芋久保村の演説会に当るを以て弊社の竹内正志吉岡育の二人が其招きに応じ同村昇隆学校に於て学術演説を為せしに聴衆無慮百余名場中立錐の地なき程なりし此会を開きたるは専ら渡邊、内野、河鍋諸氏の尽力に依ると・・・
また翌七日は二人共同郡立川の有志者板谷元右衛
もやうさんげうこみうせいだいはかきうく
まねき
おもむ
よ
門氏の招に依り同地に赴きたり素と板谷氏は大に養蚕の業に志ざし常に其盛大を計るに汲々たりしが
たゴへんやうさんしっこうぞうせつちうしんちく
昨年の春同郡長砂川源五右衛門氏に質し上州辺なる養蚕室の携造を折衷して一大養蚕室を新築せんと
おこおはらくせいゑノしはらじちかいしんとうくわいユんまね
其工を起し此度之れを竣りたれば落成の宴を張ん為め同日自治改進党の会員及び同村の人を招きしが
いたつしゆしよくなからいしうきちしきかうくわノしはか
徒らに酒食のみを為さんよりは斯く人々の来集せるを機として智識の交換を謀るに如かずと
せきじやうゑんゼつひらかんくがくくぢうんはしぜくしじつゑんくわい
て席上演説を開き改進党の中にも侃々郷々持論の吐き或は祝詞を述べ実に盛んなる宴会なりし又其
もちざいれうびけつこワくわうそうおほかくちほうみ
しんちく
新築に用ひたる材料の美は云ふ迄もなく其結擶の宏壮なる多く各地方に見ざるところなりと
史料14北多摩郡狭山村円乗院での自由懇親会を報じる記事 .(明治14)年9月28日
(『東京横浜毎日新聞』第3236号)
○去る廿五日は神奈川県下北多摩郡狭山村円乗院に於て宮鍋庄兵衛、鎌田喜三等の諸氏が発起となりて該地方有志者を会し自由懇親会を催ふさるるに付弊社の赤羽萬二郎も其招きに応じて出席したるが生憎濛々たる宿雨の尚ほ未だ晴れず道途の泥濘殊に甚しかりしにも関はらず参集したる有志者は殆ど二百名なりき斯くて午後三時に至り鎌田氏が起つて該会を開くの旨趣を述へられ尋で会員諸氏の演説あり且つ赤羽は席上二題を演じ了りて全く散会となりしは同八時頃にてありしと云ふ
史料15北多摩郡奈良橋学校での懇親会を報じる記事1881(明治14)年11月24日
(『東京横浜毎日新聞』第3276号)
○去る二十一日、神奈川県下北多摩郡奈良:橋村奈良橋学校に於て開きたる懇親会は同郡村山郷と称ふる十六ヶ村有志者の首唱に出たる者にして弊社の島田も参会したり此地は境を埼玉県下入間郡に接するを以て同県下の有志者中より来会せられたる人あり折節此地方は地租改正の調査ありて之に関する人には有志者の中にても已むを得す欠席せられしが之れにも拘らす出席員は数十人の多きに至り席上の演説等もありて中々の盛会なりし此会を初めとして爾後申合せの規約を定め永く之を維持するの見込なるよし