衆楽会開会式
(2)三多摩で最初の民権学習結社
―「衆楽会」の誕生―
それでは、東大和の地域に自由民権へ
の芽生えがおこったのはいつごろのこと
であろうか。ごく最近の東大和市の市史
編さんの調査で、三多摩自由民権運動史
にとって新しい事実が確認された。
というのは、これまで確認されている
五十六の結社(南多摩二十五、北多摩十
一、西多摩二十)の中で、もっとも早く
活動を展開しはじめたとみられていた南
多摩郡野津田村を中心とした結社「責善会」(せきぜん)の明治十一年(一八七八)五月より
も、四か月も早く東大和地域では動き出
していたことが判明したのである。
すでに東大和地域では、同年一月十七
日に石沢山愛染院(蓮華寺、新義真言
宗)で「衆楽会」という結社が発足して
いたのだ。場所は「石川の内字前坂」で
現在は多摩湖になっているところである
「衆楽会」の発足にあたっての祝文な
どをひと綴りにした文書か内野家の文庫
蔵に残っていたのが、市史編さんの悉皆(しつかい)
調査で発見されたが、
その中に「衆楽会開講式」の様子をドキュメントタッチで
記した文がある。原文を紹介しながらみ
てみよう。
〔史料-〕
衆楽会開講式
明治十一年一月十七日(木曜日)、
郷党ノ学士自治ノ道ヲ知ラント欲シ、
相与こ之レヲ訽リ衆楽会ヲ設為シ、
(ママ)
連月一回若シクニ回ヲ期シ、各自集
会シテ切瑳琢磨シテ、或ハ文ヲ講シ、
或ハ書ヲ評シ、或ハ余時ニ詩歌ヲ詠
ス、蓋シ此会ノ号アル所以ナリ
午後第壱時、当区長川嶋正義、会
長江口栄雲、幹事内野徳隆、石井権
左ヱ門、交会員数名各客室二入ル、
尋テ昇隆学校訓導内野吉治、生徒若
干名ヲ卒ヒテ同ク客室二来ル、而シ
テ会場ニハ高机軟揚ヲ列置シ、机、
毛藍ヲ覆へ、其上ニハ松竹梅ノ三枝
ヲ捕ミタル銅瓶ヲ備へ、和気降々然
タリ
同三十分戸長並ビ二会長、幹事及ヒ
会員、訓導並ビ二生徒等各席二就キ、
育列粛然祝文ヲ朗読ス
○常盤ノ縁ハ◎飴光二映シ、紅白ノ香
恵風二和シ、満堂券芳タリ、修竹ノ
青粋青満タル庭前ノ池二影ヲ描シ
〇十七順次莚ヲ退キ
つまり、同じ志を持つ郷党の学士たち
が「自治の道」を究めようと結集し、月
に一、二回、集会して「切瑳琢磨」(せつさたくま)し、
「文を講し」、「書を評し」、「詩歌を詠す」
ることを主な活動とするとある。
会長は江口栄雲で、幹事には内野徳隆
(杢左衛門)や石井権左衛門らが名をつ
らねている。それに会員数名、昇隆学校
の訓導、さらに生徒らが一同に会しての
開業式となっている。年齢や地位、職業
を越えて、まさに"衆楽"の名にふさわ
しい。
次にこの会発足に寄せるそれぞれの祝
文をみてみよう。
最初が「衆楽会開場祝辞」と題した内
野徳隆で、漢詩一詩を添えて格調高い文
となっている。
〔史料2〕
衆楽会開場祝辞
今ヤ奎運炳昭ノ秋二◎麿リ、文教ノ
化将二沿シ、海内ノ民豈感戴セサラ
ンヤ、然リ而シテ阪隅ノ愚夫愚婦彝
倫ノ道二疎ク、公令條規ヲ弁セズシ
テ遂二犯則二陥ル、喩義ノ士眉ヲ此
(カケ)
二◎餐ムル所ナリ、爰二口盟相詢テ社
員ヲ整へ、石沢精舎ヲ以テ仮二衆楽
会ヲ装置シ、夫ノ春風搦々トシテ梅
花先笑ヒ、暁霜蒼々トシテ柳眼将二
眠ラントスルノ時季二望ミ、社中会
葦シテ今開場ノ典ヲ挙ク、実二明治
十一年一月十七日也、伏テ惟レハ此
会タル各々切磨シテ天下ノ通義ヲ喩
リ、瀀渥(ゆうあく)ノ治ヲ賛揚シテ無知ノ衆ト
錐トモ意ヲ修斎二注キ、以テ横世ノ
民タルニ憶サルノ効績ヲ及ホサント
ス、翼クハ昇代ノ域ト同シク、該会
ノ連綿ト益々熾ナランコトヲ、憺喜
ノ至二勝ヘス、敢テ祝辞ヲ叙シ、故
サラニ+曼詩一調ヲ副へ、欽テ焉二頒
K
文老詞宗更研磨我儂過塊不同科
開場祝酒誰須拝醇捕管城奏野歌
会友
内野徳隆頓首拝
奎運(けいうん) 学問や文芸が発達する勢い 炳(へい) あきらか 輝く
感戴(かんたい)有り難くおし頂く
阪隅
彝倫 いりん 常に守るべき道
詢(こう) はかる
時まさに文明開化、こういう時にあた
って、いなかに住む者たちもいつまでも
眠っていてはいけない。旧態依然として
いてはいけない。「各々切磨テシ、天下
ノ通義ヲ喩」(さと)らなければならない。その
ためにこそこの「衆楽会」は役目を果す
べきであるという。
次が昇隆学校訓導で、この会の会長職
の江口栄雲の「祝文」である。特徴的な
のは「五ケ条の御誓文」を述べるところ
であろう。「広ク会議ヲ興シ、万機公論
二決ス」ることを実現するに、自分たち
は何をなすべきかを問い、「旧俗ノ悪シ
キヲ去リ、日こ新タ、日々二新」たにす
ることにつとめなければならないといっ
て、そのためにこの「衆楽会」を発足さ
せるのだといっている。「五ケ条の御誓
文」を、当時の人びとがどのようにうけ
とめていたかを示す例であろう。まさに、
「開化」のスローガンとして、自分たち
にひきつけて考えていたのであろう。
〔史料3〕
祝文
維明治十一年一月十有七日、石沢
山愛染院二於テ講席ヲ開キ其式ヲ行
フ、謹テ御誓文ヲ拝諦スルニ、広ク
(ママ)
会儀ヲ興シ、万機公論二決スベシ、
上下心ヲ一ニシテ官武一途庶民二至
ルマテ、各其志ヲ遂ゲ人心ヲ倦マザ
ラシメンコトヲ要ス、旧来ノ陋習(ろうしゅう)ヲ寢
破リ天地ノ公道二基ク可シ、知識ヲ
世界二求メ大二皇基ヲ振起スベシト、
大イナルカナ宸誓ノ大旨、実二蒼生
無涯ノ大幸福ナリ、於是乎シンシン
有志ノ輩国恩ヲ謝セント欲シ、此ノ
講会ヲ開キ、広ク愚夫愚婦ヲ誘導シ、
以テ倫理ヲ明ニシ旧俗ノ悪シキ去リ、
日二新タ、日々二新ニシテ、又日二
新タニセズンバアルベカラズ
権訓導
江口栄雲敬白
石井権左衛門が読みあげた次の文も、
まさに「文明開化」の視点をもってこの
会をたちあげていることがわかる。この
文によれば、活動は毎月十七日に例会を
開くことが決っている。
〔史料4〕
今ヤ国運ノ隆昌二際シ皇政維新
以降首トシテ学事ヲ興シ、率濱二至
ルマテ教育ノ道普及ス、皇二
叡慮ノ深淵ナル河海モ深シト
スルニ足ラズ、日疋二於テヲヤ、
各府県條忽朝命ヲ奉戴シ速
二治下二令シテ学校ヲ設立セ
シメ、群子弟ヲシテ沿子ク経
済ノ学ヲ研究シ、以テ文明開
化ノ旺盛ナランコトヲ欲スル
也
今畝二村人同盟シテ旧習ノ
弊ヲ一洗セント奮発激励シ、
仮二石沢山精舎ヲ以テ講義場
トシ、本月十七日教会ヲ開キ、
初会ノ式行ハル、向後連月十
七日ヲ期日トシ、良友相互二
(ママ)
愚心ヲ切磨セシヲ、文明化開
ノ旺盛ナランコト希望スル也、
因テ数詞ヲ記シ祝文ト云
石井権左衛門読上ク
さらに、昇隆学校の生徒の内野うらも
祝文をよせている。文明開化するために
は、まず「学ぶ」ことが基本であり、そ
れも幼児のころから、そういう習慣を身
につけておくことの大切さを示している。
児童生徒が自分で書いたものとも思えな
いが、彼女だけでなく下級一級生から上
級八級生まで、同じような祝文が多く残
されている。
〔史料5〕
祝文
祝文
祝文
祝詞
祝文
祝文
祝文
祝文
祝文
祝文
(題ナシ)
祝文
(題ナシ)
内野うら(昇隆学校上等八級生)
筆者不明
内野吉治
筆者不明
石井大吉(昇隆学校下等一級生)
鈴木十七五郎(昇隆学校上等七級生)
野口朝之進(昇隆学校上等七級生)
伊藤鉄五郎(昇隆学校上等八級生)
星野安五郎(昇隆学校上等七級生)
筆者不明
窪田和十郎
根岸伊之助
石井弥三郎
東大和地域の人びとが本格的に自由民
権運動にかかわるようになるのは、明治
十三年(一八八〇)の末ごろから翌十四
年一月にかけてのことであろう。府中駅
高安寺で十四年一月に発会した民権結社
「自治改進党」は、明治十三年末には盟
約の草案ができ上っていた
(ママ)
が(内野家文書に「自由改
進党盟約」と記された資料
が残っている)、北多摩郡
下の有力者を網羅するかた
ちで発足した。総員一四四
名を擁する一大結社である
中心は野崎村(現三鷹市)
の吉野泰三で、「人民自治
ノ精神ヲ養成」することと
「漸ヲ以自主ノ権理ヲ拡充」
することを目的にかかげて
いた。この結社の会員の中
に、東大和地域のメンバー
六人が入っていた。蔵敷村
からは内野杢左衛門と内野
吉治郎、奈良橋村からは鎌
田佐一郎と関田安太郎、芋窪村からは川
鍋正成、狭山村からは関田粂右衛門で、
いずれもそれぞれの村の有力者であった。
ひよく
すでに衆楽会という学習結社で、肥沃
な下地をつくってあったので、「自治改
進党」への参加は、そんなに大きな跳躍
をしないでも接近できた。郡単位の結合
にいち早く積極的な活動を展開すること
が可能だった。
①芋久保村での演説会
その年の五月には、芋久保村ではじめ
ての「学術演説会」を開催している。お
そらくこの地域としては、はじめて宣伝
の「チラシ」もつくり、周辺に来聴を呼
びかけている。「東京横浜毎日新聞」(五
月十日)によると、民権派ジャーナリス
トの竹内正志と吉岡育を招いて、学術演
説会を開催した。場所は昇隆学校。「聴
衆無慮百余名、場中立錐の地なき程」だ
ったと報道されている。会のお膳立ては、
渡辺、内野(杢左衛門)、川鍋(正成か)
などが中心だったとも記されている。自
治改進党のメンバーである内野と川鍋ら
瀀渥(ゆうあく)手厚く、いつくしみ深いさま。ねんごろなさま。特に、天子の恩沢が深いさま。
衆楽会の趣旨
同じ志を持つ皆で
「自治の道」を究めるため
月に一、二回、集って
「切瑳琢磨」(せつさたくま)し、
「文を講し」「書を評し」「詩歌を詠す」
ことを目的とする
内野の祝詞
天下の道理を悟り
暖かい、潤いのある政治をたたえ
これからの行く道を開こう
(美文調です)
江口会長
「広く会議を興し、万機公論に決す」を実現するため
何をなすべきかを問い、
旧俗にとらわれずに
日々に新た、日々に新につとめよう
石井権左衛門
良友相互に切磨琢磨し
経済の学を研究し
文明開化の旺盛になることを希望する