警視庁府中警察署

警視庁府中警察署

 明治二十六年四月一日、つまり三多摩郡の東京府編入と同じ日付で「告示第十六号により、ここに〔八王子警察署〕府中分署は、警視庁府中警察署として誕生」した。これにともなって、これまで府中分署と同格であった八王子警察署田無分署は、「府中警察署田無分署」(北多摩郡田無町一七六三番地)となった。

  このときの府中警察署の位置は、府中駅五七三六番地(現宮町三ノ一の府中分署跡にあって、「その管轄区域は、府中駅・西府村」のほか、「多磨村」・「谷保村・立川村・拝島村・田中村・大神村・宮沢村・中神村・上河原村・築地村・福島村・郷地村・砂川村・国分寺村・小金井村」・「三鷹村・神代村・千蔵村・砧村・狛江村・調布町の一駅・一町・二十一ケ村であり、駐在所一三を所管し」その「署員は署長(警部)一、警部二、巡査二〇、雇員四、の二七名であった」。

  「巡査派出所はなかった。(「田無分署の管轄区域は田無町・武蔵野村・久留米村・清瀬村・東村山村・小平村・奈良橋村・高木村・清水村・狭山村・蔵敷村・芋窪村・中藤村・横田村・三ツ木村・岸村の一町一五ケ村であり、駐在所七を所管し」、「その署員数は、分署長(警部と、警部一、巡査一一、雇員一の一四名であった」)。府中警察署の当時の管轄地域は広大で、それを、わずか署長以下二十七名で担当していたのである。「当時の警視庁管下の警察署数は、二四署・九分署であり、三多摩地域には、府中警察署および田無分署のほか、八王子警察署と、同町田分署、青梅警察署と同五日市分署が置かれていた」。三多摩各郡に一警察、一分署ずつというわけである。

  明治二十九年一月になると「六所宮境内に(現在のや大国魂神社内アヅマ家付近)新庁舎が再建され」、「当時は郡役所とともに北郡行政の中枢として往時の武蔵国府のおもかげをしのぶものがあったこと、小冊子『府中署の歴史』(昭和四十一年同署刊)は述べている(↓五四〇頁)。 (府中市史上p343~344)