貯水池周囲道路
2011年7月23日
14:35
ケ周囲道路
若者たちによる車やバイクの死傷事故で当局が頭を痛めている状況が、時に報道されたが、周囲道路が現在のように、美しく整備されたのは最近のことである。その原型となった道路は、大正十一年
(一九二二)十一月十一日起工され、翌年の十二月二十九日に完成した。貯水池完成に伴う必要に応じて造られたのである。それまでは、丘陵の尾根をつなぐ道は一本になっていたわけではなく、谷と谷を結ぶ数条の山越しの道が村ごとに開かれ、むしろこれらの道の方が利用度が高かった。その証拠に明治三十年代の終りに、石川の田へ行くため新しく開かれた道がある。芋窪の中谷つの通りは、現在車の流れの多い所だが、豊鹿島神社の境内の西で山の方へ向って分岐する道がある。この奥の道が当時村人が集って切通した道で、石川へ行くのに随分楽になったという。しかし、水道用地になった時、周囲道路が整備され埋められてしまった。今は上を走る道路の崖にさえぎられ、切通しは行き止まりになっている。
このような状況は各村域の道についても同様で、杉本坂、庚申坂、稲荷坂、滝坂、笠松坂など貯水池側の道も周囲道路により分断されることになったのである。(東大和市史資料編9道と地名と人のくらしp30)