道者街道

道者街道

2011年7月23日
14:35

コ道者街道

 昔の清水村と狭山村そして高木村の南端をよぎる道は現在、用水北通りといわれている。立川から久米川へのバスが通る。この道はかつて道者街道といわれていた。青梅橋から西へは御嶽道、すなわち旧青梅街道(桜街道)につながる。

 毎年、春になると江戸西郊の人びとが講中を組んで白衣を着、旗を立てて、奥多摩の御嶽山や一石山へ参詣する。それらの人びとを道者といった。道者たちが利用するので、この道を道者街道と称したというのだが、土地の人たちは「ドシャカイドウ」と言っている。北多摩郡大和村の地図を見ると、この道は現在と違って小平側にある東電の変電所のあたりで南に直角に折れ、用水の縁に沿って西へ続いている。青梅橋から西も用水べりは古くから土砂揚地になっていた。「ドシャ」というのは、土砂揚地の意味かとも察しがつく。

 この用水縁は地番整理まで、ふしぎなことに細長く高木分になっていた。聞くところによると、高木分になったのは、昔水死人があったのが原因というが、この土砂揚げの作業に関係があるらしい。

 またこの道は別名「罪人街道」ともいったそうだ。罪人が唐丸駕籠(とうまるかご)に乗せられて護送されていった道であろうか。いずれにしてもふだんは村里から離れたさびしい道だったことと思われる。

(東大和市史資料編9道と地名と人のくらしp31)