259、稲荷(いなり)聞き書き
稲荷は、字のとうり、稲(農産物)の豊作を願って祀ったもので、東大和市内にも屋敷神として沢山まつられています。 、近年は商売繁盛、病気の平癒、失せものの発見等、でも信仰されたようです。
①笠森稲荷(かさもりいなり)
高木の宮鍋さん(屋号は、はこや)の屋敷神として祀られています。 明治の中ごろの話として、笠森を皮膚病の瘡(かさ、梅毒の為にできる皮膚病、一般には吹き出ものをさす)にかけて、この稲荷にお願いすると瘡が治ると言われ、「瘡ができたので、治してください」と供え物(団子)をしてお願いをする。 勧請等については、」東大和市発行の(武蔵野美術大学生活文化研究会編『東大和の生活と文化』、1983.3、『屋敷神調査報告書第一集 東大和の屋敷神』(1984.7)にかなり詳しく載せられています。
②あなもり稲荷いなり(穴守稲荷か?)
高木の和地さんの屋敷神として祀られています。 大正15年頃 隣の家との境界争いがあり、土地を守ってもらうために勧請したと言われています。 名前をつけたのは、清水神社の神主だった「清水福丸」さんで、昭和15年頃まで、毎月1日、15日、28日に祝詞(のりと)をあげてもらっていたそうです。 この家は、商売をしていた家なので、他の稲荷とは違う信仰の形を取っていた事も考えられます。(屋号はおしんめい)
③西山の稲荷(にしやまのいなり)
高木の鎌田さんの稲荷は、子どもの夜泣きを治すといわれ、願を掛けてなおったら、御礼に豆腐をあげた。 近郷からもお参りがあったようです。(西山は屋号)(2012.06.14記)