50、奈良橋川に架る橋
私が小学生の頃1953年(昭和28年)頃、奈良橋川の日月橋(志木街道に架る橋)から高木橋までの間に橋はありませんでした。(今もありません)
そこで近所の行き来や、農作業のために川を渡る必要から簡単な橋がかかっていました。 当時の大熊製麺のところから高橋さんのところに架る橋はかなり幅広の角材を一本渡してあり、この橋を子どもは一本橋と呼んでいまいた。
そこから下流にかけて6本の橋がかかっており、下流に順に2本の丸太を渡した2本橋、順次丸太の数が増えてゆき5本橋までありました 残念なことに6本目の橋は1本の丸木橋でした。
&偶然とは思えません、橋を架けるのは村人の共同作業ですので、「粋」な人がいたのでしょう。 (2010.06.05記)
51、冬の奈良橋川
私が中学生の頃1955年(昭和30年)、冬の奈良橋川は水量が少なくほとんど表面は流れていませんでした。
淵に水がたまり氷が張り、真冬にはかなり厚い氷が張り乗っても割れませんでした。 そこで学校の帰りは川に降りて中を歩いて帰りました。 その頃は日月橋より下流は魚が少なくザリガニ(正確にはアメリカザリガニ)が沢山いました。 上流は魚がいたような話でした。(2010.06.06記)