樫の木の碑
タイトル (Title)
樫の木の碑
詳細 (Description)
都立東大和南公園グラウンド南西角の林の中に、「樫(かし)の木の碑」があります。
あまり目立たないので、多くの人が見過ごしてかわいそうです。
この碑は、昭和39年(1964)、大和町から米軍大和基地に樫の木が贈られた時に建てられました。
樫の木は伐られて、景観はすっかり変わっていますが、碑は木のあったほぼ同じ位置にあります。
近寄ってみると、下側に、日本語で「カシの木 大和町寄贈 昭和39年4月」と彫られています。上側に英語で
「These Oak trees were donated by Yamato-machi as a token of frienaship april 1964」
とあります。
この写真を撮っていた日です。練習の合間の休憩タイムでしょう。数人の女子高校生が駆け寄ってきました。
「おじいさん、聞いていい・・・」
「私たち、ずーっと疑問に思っているの・・・」
「英語のところなんだけど」
「These Oak trees were donated by Yamato-machi as a token of frienaship april 1964って読めるでしょ」
「うん、どうかした」
「先輩に聞くと、これらのオークは大和町から友好の印として寄贈された、って読むんだ、と教えられたの」
「その通りだろ」
「おじいさん、友好の印ってどこに書いてあるの」
「だって、token of friendshipって彫られているだろ。さっき変に読んでいたけど」
「そんなことない」
「ちゃんと見て・・・」
ということから読み直すと「frienaship」と彫られています。
「ほんとだ、・・・」
と云ったまま、どうしようもありません。これには参りました。
「俺の英語力じゃ「frienaship」はわかんないな」
「おじいさん、さっき、friendshipって云ったよね」
「うん。てっきり、そう思ってたから」
「やったー、じゃー、aとdの間違いでしょう・・・!」
「・・・、調べてみるから、今は勘弁してよ」
と別れましたが、今も、疑問は解けません。
年表を調べると、この当時、町と米軍大和基地の関係は緊密です。
昭和31年(1956)㋁、米軍大和基地が開設される
大和町日米連絡協議会発足
昭和31年(1956)7月、町は米軍大和基地と消防に関する相互応援協定を結ぶ
昭和31年(1956)~毎年、基地軍人や家族からお金や衣類、おもちゃなどの寄付がある
クリスマスには子ども達が基地内に招待されて歓迎を受ける
昭和37年(1962)~昭和39年(1964)町民の井戸が水涸れしたとき、米軍基地の給水車で給水してもらう
など、安全面からも日常生活面でも交流が深まっていました。
昭和39年(1964)5月は町制施行10周年に当たり、町としても記念すべき年でした。
これらが重なって、友好の印に樫の木が寄贈されたのでしょう。
その時、基地の将校さん達は彫り違いに気が付きながらも、一言も言わずに受け取ったんだ、と思うと、立ったり座ったりです。
frienashipとfriendshipは、これからも疑問に思う人が出そうです。
でも、このような時代があったことの証言者として、米軍大和基地の碑と共に大事にしたいです。
あまり目立たないので、多くの人が見過ごしてかわいそうです。
この碑は、昭和39年(1964)、大和町から米軍大和基地に樫の木が贈られた時に建てられました。
樫の木は伐られて、景観はすっかり変わっていますが、碑は木のあったほぼ同じ位置にあります。
近寄ってみると、下側に、日本語で「カシの木 大和町寄贈 昭和39年4月」と彫られています。上側に英語で
「These Oak trees were donated by Yamato-machi as a token of frienaship april 1964」
とあります。
この写真を撮っていた日です。練習の合間の休憩タイムでしょう。数人の女子高校生が駆け寄ってきました。
「おじいさん、聞いていい・・・」
「私たち、ずーっと疑問に思っているの・・・」
「英語のところなんだけど」
「These Oak trees were donated by Yamato-machi as a token of frienaship april 1964って読めるでしょ」
「うん、どうかした」
「先輩に聞くと、これらのオークは大和町から友好の印として寄贈された、って読むんだ、と教えられたの」
「その通りだろ」
「おじいさん、友好の印ってどこに書いてあるの」
「だって、token of friendshipって彫られているだろ。さっき変に読んでいたけど」
「そんなことない」
「ちゃんと見て・・・」
ということから読み直すと「frienaship」と彫られています。
「ほんとだ、・・・」
と云ったまま、どうしようもありません。これには参りました。
「俺の英語力じゃ「frienaship」はわかんないな」
「おじいさん、さっき、friendshipって云ったよね」
「うん。てっきり、そう思ってたから」
「やったー、じゃー、aとdの間違いでしょう・・・!」
「・・・、調べてみるから、今は勘弁してよ」
と別れましたが、今も、疑問は解けません。
年表を調べると、この当時、町と米軍大和基地の関係は緊密です。
昭和31年(1956)㋁、米軍大和基地が開設される
大和町日米連絡協議会発足
昭和31年(1956)7月、町は米軍大和基地と消防に関する相互応援協定を結ぶ
昭和31年(1956)~毎年、基地軍人や家族からお金や衣類、おもちゃなどの寄付がある
クリスマスには子ども達が基地内に招待されて歓迎を受ける
昭和37年(1962)~昭和39年(1964)町民の井戸が水涸れしたとき、米軍基地の給水車で給水してもらう
など、安全面からも日常生活面でも交流が深まっていました。
昭和39年(1964)5月は町制施行10周年に当たり、町としても記念すべき年でした。
これらが重なって、友好の印に樫の木が寄贈されたのでしょう。
その時、基地の将校さん達は彫り違いに気が付きながらも、一言も言わずに受け取ったんだ、と思うと、立ったり座ったりです。
frienashipとfriendshipは、これからも疑問に思う人が出そうです。
でも、このような時代があったことの証言者として、米軍大和基地の碑と共に大事にしたいです。
Item Relations
This item has no relations.
Collection
Citation
“樫の木の碑,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月22日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/index.php/items/show/1558.