豊鹿島神社の境内社2
タイトル (Title)
豊鹿島神社の境内社2
詳細 (Description)
社殿左側・日吉神社
豊鹿島神社社殿、向かって左側です。木陰に隠れて見過ごしがちですが、雨落溝に沿って歩を進めると石灯籠と古木の切り株に守られるように木造の祠があります。
左側・元禄15年(1702)の石灯籠、右側・古木の切り株の中央が日吉神社です。
創建などの歴史的背景は不明です。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』『狭山之栞』、「明治3年書上」のいずれにも「日吉神社」の記載はありません。江戸時代末までは「山王様」が記されます。
・『新編武蔵風土記稿』は末社として「白山祠 子ノ神祠 山王祠」をあげ、「本社の左右にあり」としています。
白山祠は現在も社殿右側にまつられています。同様に社殿どちら側かに山王祠がまつられていたことになります。
子ノ神祠は不明です。
・『狭山之栞』は芋窪村の「神祠」として、子神、石神、滝沢、山王、弁天、稲荷、大六天、羽黒、神明、熊野、愛宕社を記します。
◎どの資料にも、江戸時代には「山王祠」がまつられていて「日吉神社」の名がありません。それが、明治になるとまた変わります。
◎明治3年(1870)芋窪村から韮山県に鎮守についての書上が提出されています。
摂社として、住吉社、八雲社、熊野社、愛宕社
末社として、白山社、稲荷社、子神社
が報告され、「山王祠」も記載されなくなります。
◎この時期、山王様は改称されることが多いようです。
◎蔵敷村で、山王社は日枝神社と改称しています。
◎昭島市に日吉神社があります。もともとは山王大権現社と称していました。
それが、明治2年(1869年)の神仏分離によって、日吉神社と改称しています。
◎これらの例から、豊鹿島神社境内の場合も、この時期に「山王祠」が現在の「日吉神社」に改称されたと考えられます。
表示板に「祭神 大己貴命(おおなむちのみこと) 福徳開運」とあります。
祠の中に石碑やお守り札などはまつられていません。地元の方々は大国主様(おおくにぬしさま)と親しんでいます。まさに天候安定・豊作・家内安全・・・と、福徳開運を願ったようです。
そして、ダイコク様に通じたのでしょうか、おおらかな像が置かれていて、心がほぐれます。
社の左側にある灯籠は火袋などが欠けていますが、「武州多摩郡上奈良橋郷井窪庄」の銘が残り非常に貴重です。
豊鹿島神社社殿、向かって左側です。木陰に隠れて見過ごしがちですが、雨落溝に沿って歩を進めると石灯籠と古木の切り株に守られるように木造の祠があります。
左側・元禄15年(1702)の石灯籠、右側・古木の切り株の中央が日吉神社です。
創建などの歴史的背景は不明です。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』『狭山之栞』、「明治3年書上」のいずれにも「日吉神社」の記載はありません。江戸時代末までは「山王様」が記されます。
・『新編武蔵風土記稿』は末社として「白山祠 子ノ神祠 山王祠」をあげ、「本社の左右にあり」としています。
白山祠は現在も社殿右側にまつられています。同様に社殿どちら側かに山王祠がまつられていたことになります。
子ノ神祠は不明です。
・『狭山之栞』は芋窪村の「神祠」として、子神、石神、滝沢、山王、弁天、稲荷、大六天、羽黒、神明、熊野、愛宕社を記します。
◎どの資料にも、江戸時代には「山王祠」がまつられていて「日吉神社」の名がありません。それが、明治になるとまた変わります。
◎明治3年(1870)芋窪村から韮山県に鎮守についての書上が提出されています。
摂社として、住吉社、八雲社、熊野社、愛宕社
末社として、白山社、稲荷社、子神社
が報告され、「山王祠」も記載されなくなります。
◎この時期、山王様は改称されることが多いようです。
◎蔵敷村で、山王社は日枝神社と改称しています。
◎昭島市に日吉神社があります。もともとは山王大権現社と称していました。
それが、明治2年(1869年)の神仏分離によって、日吉神社と改称しています。
◎これらの例から、豊鹿島神社境内の場合も、この時期に「山王祠」が現在の「日吉神社」に改称されたと考えられます。
表示板に「祭神 大己貴命(おおなむちのみこと) 福徳開運」とあります。
祠の中に石碑やお守り札などはまつられていません。地元の方々は大国主様(おおくにぬしさま)と親しんでいます。まさに天候安定・豊作・家内安全・・・と、福徳開運を願ったようです。
そして、ダイコク様に通じたのでしょうか、おおらかな像が置かれていて、心がほぐれます。
社の左側にある灯籠は火袋などが欠けていますが、「武州多摩郡上奈良橋郷井窪庄」の銘が残り非常に貴重です。
Item Relations
This item has no relations.
Collection
Citation
“豊鹿島神社の境内社2,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年12月11日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/index.php/items/show/1583.