(2)十六番札所 三光院

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手前の取水塔の辺りに観音堂があった.jpg
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タイトル (Title)

(2)十六番札所 三光院

詳細 (Description)

観音堂
所在地 清水四丁目1132番地(三光院境内)
本 尊 千手観音
詠 歌
補陀落や 大慈大悲の 慈眼坂 来り迎うる 弥陀の三尊
御朱印は三光院で頂けます。
本尊について
『新編武蔵風土記稿』では本尊は像高二尺一寸(六三㌢)の木造聖観音菩薩立像であったと記していますが、現在の本尊は千手観音像にかわっています。
なお、『狭山之栞』では、「寺内千手観音は慈眼大師の作、長八寸(二十四㌢)」とあります。
歴史を辿ります。
三光院観音堂は、かって村山下貯水池に沈んだ宅部にありました。下堰堤から近い給水塔の辺りが旧地です。
江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』では、清水村の条に「観音堂見捨地一畝、村の中央道の傍にあり、二間四方南向、正観音木の立像長二尺一寸(六十三㌢)許なるを安す、村民持」とあります。
『多摩湖の歴史』(編集多摩湖の歴史編集員会、発行多摩湖遺跡群調査会 1980年)は「付近は切りたった山で、さらに石段(80段)を登った高い所に鐘楼があり、なかなかの景観だったという。山門の外に観音堂があった。」(p222)と記しています。
観音堂は三光院の門前に独立してあり、村人が自ら管理していた事がわかります。
巡礼道の変化
村山貯水池築造(大正5年に着工、昭和2年に完成)のため、観音堂は遙か南の現・三光院境内に移転しました。移転により、十五番からの観音道はすっかり変わりました。移転前は本村橋を渡り直進して宅部池(たっちゃん池)の付近から、旧地へと進むか、或いは現在の駐在所の南側付近にあった熊野神社、成就院を経て、下堰堤手前の広場に入り湖底に沈んだ旧地へと下ったようです。
現在は全くルートが変わりました。14番法珠寺から、或いは武蔵大和駅から巡拝する場合、15番をお参りしてから引き返すか、武蔵大和駅前を過ぎて間もなく、左側の大きな道路を南に向かうことになります。やがて、新青梅街道を経て、左折して沿道に山門がある三光院の境内の堂に達します。15番清水観音堂の御朱印は三光院で頂けます。
次の17番へは、ほぼ同じ道を戻るか、道に詳しい方は、途中から旧道に入って清水神社の前を通って志木街道に出て、十七番・霊性庵に向かいます。

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Citation

“(2)十六番札所 三光院,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年4月20日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/index.php/items/show/1654.