略年譜 明治時代

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略年譜 明治時代

詳細 (Description)

1868年(慶応4)6月19日、武蔵国に知県事が置かれる。
 芋窪村(天領分)、蔵敷村、奈良橋村、後ヶ谷村、宅部村、高木村(天領分)、清水村(新田分)は韮山県に属する。
 芋窪村(旧旗本領分)、高木村(旧旗本領分)、清水村(本田分)は一時、新政府領となり、明治2年に品川県に属する。
1868年(明治元)9月8日、明治と改元。
1868年(明治元)11月4日、御凱旋につき御酒下さる(『里正日誌』)。
・市中約一六〇〇余町に二五〇〇余樽の酒が振舞われた。
・市内では、「御酒頂戴」「天盃頂戴」の幟が掲げられ、二日間の休業が行われた。
1868年(明治元)11月6日、高札書き換え。
 ・人たるもの五倫の道を正しくすへき事
 ・何事によらず徒党、強訴、逃散は厳禁
 ・切支丹宗門はかたく停止の三枚。
1869年(明治2)6月3日、神仏混淆実地調査が行われる。
1869年(明治2)6月17日、版籍奉還。
 藩主⇒藩知事(274人)、公家・諸侯⇒華族、家臣⇒士族となる。
1869年(明治2)6月24日、狭山丘陵で忍び賊の山狩り。
1869年(明治2)7月22日、蔵敷村名主が農民の窮状を訴える。
1869年(明治2)9月27日、不作のため年貢の減額を申し出る。
 芋窪村、蔵敷村、奈良橋村、高木村、後ヶ谷村、宅部村、廻り田村
1870年(明治3)1月10日、御門訴事件 新田農民700~800人が蓑がさ姿で品川県庁に訴え。
 東大和市域の村は参加していない。
1870年(明治3)3月、寄場組合の再編 蔵敷寄場組合が小川寄場組合に吸収される。
1870年(明治3)5月、玉川上水通船の開始。
 玉川上水に船を浮かべ、羽村~大木戸間の荷物運搬。
1871年(明治4)4月28日、小川寺に小川仮郷学校を設立。
1871年(明治4)7月14日、廃藩置県、戸籍編製。
 芋窪、蔵敷、奈良橋、高木、後ヶ谷、宅部村は韮山県⇒神奈川県に。
 清水村は品川県⇒神奈川県に。
1872年(明治5)8月3日、学制を公布。
1873年(明治6)1月10日、徴兵令制定。
1873年(明治6)4月、神奈川県区番組制度により十一区十番組(高木村外六ヵ村)になる。
 芋窪、蔵敷、奈良橋、高木、後ヶ谷、宅部村、清水村
1873年(明治6)4月、小学校開校。
 村人たちは内職をしてその経費を生み出した。
1873年(明治6)7月28日、地租改正条例制定。
 土地に番地を付けた。宅部村と後ヶ谷村は所有地が入り乱れ、合併して条件を満たした。
1873年(明治6)、板垣退助など自由民権運動。
1873年(明治6)11月8日、区番組会所を高木村明楽寺に設ける。
1874年(明治7)1月、中島信行が神奈川県令になる。
 元土佐藩士、蔵敷村内野杢左衛門が影響を受け自由民権運動の推進を図る。
1875年(明治8)3月、宅部村と後ヶ谷村が合併して狭山村となる。
1875年(明治8)6月、第一回地方官会議、中島信行「地方民会の公選」を主張。
 内野杢左衛門が傍聴。 
1877年(明治10)、西南戦争。 
1878年(明治11)、芋窪石川蓮華寺で自由民権学習結社「衆楽会」が開かれる。
1879年(明治12)3月、各村に戸長を置き、戸長役場を設ける。
1879年(明治12)7月、蔵敷村で村会議員選挙が実施される。
 引き続き各村で村会議員選挙が行われ、村会が設けられる。
1880年(明治13)2月11日、蔵敷村で最初の村会が開かれる。
1880年(明治13)、高木村で新聞購読会
1881年(明治14)1月、蔵敷村で新聞購読会
1881年(明治14)、明治14年政変、薩長藩閥政府体制。
1881年(明治14)5月6日、自由民権芋窪学術演説会、千葉卓三郎が奈良橋村に滞在。
1881年(明治14)9月25日、狭山自由懇親会
1881年(明治14)10月12日、国会開設の勅諭⇒10年後国会開設
1881年(明治14)10月29日、自由党結成。
1881年(明治14)11月21日、奈良橋自由懇親会
1884年(明治17)7月1日、高木村5ヵ村を連合して、連合戸長役場を高木妙楽寺に置く。
 戸長官選となる。
1886年(明治19)、コレラ大流行、東京で、死者11万人余とされる。
1887年(明治20)、三多摩壮士・武州倶楽部結成される。
1888年(明治21)、市町村制公布される。市町村合併を推進。
 明治21年  全国の市町村数 71,314が
 明治22年には 町村 15,820+市39 合併率77,8%
1889年(明治22)1月16日、蔵敷村少年会(夜学)発足。
1889年(明治22)2月11日、帝国憲法発布。
1889年(明治22)6月6日、村の合併を迫られるが合併せず、高木他五ヵ村組合村を成立させる。
1890年(明治23)5月、狭山の夜学会が発足。
1890年(明治23)10月30日、教育勅語発布。
1891年(明治24)10月、郡長から、3校ある小学校を2校にするよう仕向けられた。
 村は従わず、3校とし、奈良橋村が1校分を村負担することにして継続することになる。明治27年(1894)に実施
1893年(明治26)4月1日、神奈川県から東京府に編入。
1894年(明治27)、清水青年会発足。芋窪の林堂で夜学会発足。
1895年(明治28)8月6日、川越鉄道が東村山停車場を開設。 
1897年(明治30)、狭山青年会設立。
1899年(明治32)9月7日、玉川上水に赤痢の排泄物を流したとの問題が生ずる。
1900年(明治33)、蔵敷夜学会はじまる。
1901年(明治34)、突然、村山村にするとの合併騒動。裏に、郡長の意向か?
 各村で反対、成立しなかった。
1904年(明治37)、日露戦争はじまる。奈良橋青年会発足。
1906年(明治39)12月、神社合祀令、一町村一社に統廃合。
1907年(明治40)3月25日、小学校令改正、尋常小学校6年制、高等科2年制となる。
 高木青年会発足。天然痘流行。
1909年(明治42)4月、東京市が水道拡張のための調査を中島博士に委嘱。
1911年(明治44)、所沢飛行場開設。
1911年(明治44)12月13日、東京市区改正委員会に貯水池建設案提出される。
 ①奥多摩大久野案、 ②狭山丘陵村山貯水池案。
1912年(明治45)4月6日、貯水池建設が村山貯水池と決定。
1912年(明治45)7月30日、大正と改元

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“略年譜 明治時代,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年7月18日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/index.php/items/show/1772.