享保11年(1726)六十六部供養塔2 清水観音堂前左端

享保9年(1724)六十六部供養塔.jpg
観音堂道路側の碑.jpg
六十六部供養塔の付近.jpg
六十六部供養塔.jpg
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左側面.jpg
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裏面.jpg
供養塔が建立された頃の東大和市.jpg

タイトル (Title)

享保11年(1726)六十六部供養塔2 清水観音堂前左端

詳細 (Description)

清水観音堂にまつられる「大乘妙典六十六部日本回国供養塔」2を紹介します。
以前は、木の間に隠れて見えませんでしたが、最近は全容を拝することができます。
梵字 奉納大乘妙典六十六部日本回国供養塔
清水観音堂入り口に向かって左側に入り口の方に向いてまつられています。
(以下、六十六部供養塔とします)
清水観音堂には、大きさも形も違った2基の六十六部供養塔がまつられています。
今回紹介するのは画像の左側です。
手前から、馬頭観音、六十六部供養塔(享保9年・1724)1と並び、
正面が今回の享保11年(1726)六十六部供養塔2です。手前にあるのは力石でしょうか。
正面
長い間、木の枝に囲まれていたので、文字がはっきりと読み取れます。
梵字・アン(弥陀) 奉納大乘妙典六十六部日本回国供養塔
高さ112㌢
幅30.5㌢
六十六部供養塔はいろいろな形をします。
参考までに、右側に位置する、同じ村の享保9年(1724)六十六部供養塔を紹介します。
笠、台付きで、表面に日付、奉納者など、両側面に蓮の花が彫られています。
右面
角柱の右面には梵字と塔の建立年月日が刻まれています。
梵字ア(宝憧如来) 享保十一丙午年(1726)二月吉日
  宝憧如来・ほうとうにょらい・ほうどうにょらい
左面
左面には、梵字と塔を建立した村の名前が刻まれています。
梵字アク(天鼓雷音如来)武州多摩郡清水村
建立された場所は不明です。
次の裏面に刻まれた文字から石橋供養塔の趣旨もあったことがうかがえます。
裏面
裏面には梵字と石橋建立について刻まれています。
裏面は塔がブロック塀いっぱいに建立されていることから、全体は読めません。
幸いに昭和45年(1970)に行われた生活文化財概要調査の際に読み取った記録が残されています。 
アー(開敷華王如来) 願主 円海敬白
       石橋建立 
          村々男女助願衆中
この裏面の彫りから、
・享保11(1726)年に、清水村の村人達が石橋を架け
・供養したことが想定されます。
・観音堂の北側に前川が流れ、
・観音堂の西北で所沢方面から村山道への当時の主要道が交差をして
・本村橋が架かっています。
・その石橋の完成を祝い、今後の無事安全を祈り
・安定した天候、豊作、無病息災
・・・・
 を祈願して供養塔としたのではないでしょうか?
謎解きが沢山残りますが、
・野火止用水までの新田開発を完了し、
・縦に細長い村が成立
・さらに武蔵野の新田開発に乗り出した時期、
村人達の願いや気持ちを語ってもらえるようで、ついつい、長居をしてしまいます。

Item Relations

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Citation

“享保11年(1726)六十六部供養塔2 清水観音堂前左端,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月24日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/items/show/1565.