豊鹿島神社の石灯籠
タイトル (Title)
豊鹿島神社の石灯籠
詳細 (Description)
豊鹿島神社には社殿の左右に江戸時代の灯籠が一つずつあります。両者ともに火袋を欠いていますが、笠石に江戸時代初期、中期の貴重な銘が彫られています。
社殿左側
鹿嶋大明神御宝前(元禄15年・1702)碑
社殿左側、日吉神社の祠の左側に造立されています。台石も含めて高さ80㌢程です。
現在も子孫の居られる方々の名前と元禄15年(1702)、「武州多摩郡上奈良橋郷 井窪庄」の銘があります。
「上奈良橋郷 井窪庄」は中世の呼称であり、江戸中期に至っても使用されていたことがわかります。
「鹿嶋大明神」の銘は明治に至るまでの神社名で、現在の「豊」が付いていません。
明治の神社改革・神仏習合廃止政策により、明神は廃され、神社名として新たに「豊」を付して切り抜けた経緯が偲ばれます。
正面
鹿嶋大明神御宝前
木村吉左衛門 比留間所左衛門 石井徳左衛門 木村文右衛門
右側面
元禄十五年壬午十月吉日(1702)
石井常右衛門 木村久七郎 比留間長兵衛
左側面
武州多摩郡上奈良橋郷 井窪庄
加須賀弥兵衛 加間田次右衛門 関田庄兵衛
社殿右側
奉納 鹿嶋大神宮御宝前二世安楽所 (正保四丁亥年・1647)碑
拝殿から、一度、石段を降りて北側の境内社に向かう途中に造立されています。高さ140㌢程です。
正保4年(1647)の造立で、東大和市内では最古の石灯籠であり、日待灯籠です。
江戸時代初期には「鹿嶋大神宮」の名称が使われ、中世から、武の神としてまつられた経緯を強く感じます。
また、神前で二世安楽をねがい御日待供養を行う村人達の心持ちが伝わります。
正面
正保四丁亥年(1647)
奉納 鹿嶋大神宮御宝前二世安楽所
裏面
御日待供養
六良左門・長左門 所左門・善左門 小兵衛・新衛門 与兵衛
拓本は『東大和市史資料編8』p23に掲載されています。
社殿左側
鹿嶋大明神御宝前(元禄15年・1702)碑
社殿左側、日吉神社の祠の左側に造立されています。台石も含めて高さ80㌢程です。
現在も子孫の居られる方々の名前と元禄15年(1702)、「武州多摩郡上奈良橋郷 井窪庄」の銘があります。
「上奈良橋郷 井窪庄」は中世の呼称であり、江戸中期に至っても使用されていたことがわかります。
「鹿嶋大明神」の銘は明治に至るまでの神社名で、現在の「豊」が付いていません。
明治の神社改革・神仏習合廃止政策により、明神は廃され、神社名として新たに「豊」を付して切り抜けた経緯が偲ばれます。
正面
鹿嶋大明神御宝前
木村吉左衛門 比留間所左衛門 石井徳左衛門 木村文右衛門
右側面
元禄十五年壬午十月吉日(1702)
石井常右衛門 木村久七郎 比留間長兵衛
左側面
武州多摩郡上奈良橋郷 井窪庄
加須賀弥兵衛 加間田次右衛門 関田庄兵衛
社殿右側
奉納 鹿嶋大神宮御宝前二世安楽所 (正保四丁亥年・1647)碑
拝殿から、一度、石段を降りて北側の境内社に向かう途中に造立されています。高さ140㌢程です。
正保4年(1647)の造立で、東大和市内では最古の石灯籠であり、日待灯籠です。
江戸時代初期には「鹿嶋大神宮」の名称が使われ、中世から、武の神としてまつられた経緯を強く感じます。
また、神前で二世安楽をねがい御日待供養を行う村人達の心持ちが伝わります。
正面
正保四丁亥年(1647)
奉納 鹿嶋大神宮御宝前二世安楽所
裏面
御日待供養
六良左門・長左門 所左門・善左門 小兵衛・新衛門 与兵衛
拓本は『東大和市史資料編8』p23に掲載されています。
Item Relations
This item has no relations.
Collection
Citation
“豊鹿島神社の石灯籠,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月24日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/items/show/1588.