山王社・日枝社
タイトル (Title)
山王社・日枝社
詳細 (Description)
位置 蔵敷二丁目510
祭神 不詳(一般的には大山咋神(おおやまくいのかみ=山の地主神)と大物主神(または大国主神)を祭神とする)
創建 不詳
備考
「明治2年(1869)6月に行われた神仏混淆調」では山王社とします。(『里正日誌』10p410)
「明治4年(1871)社寺調」の書き上げでは日枝大神とします。(『里正日誌』12p42)
現在、地元では山王様とします。近くの空堀川に架かる橋の名前は「山王橋」です。
地誌類の記録
『新編武蔵風土記稿』『狭山之栞』
いずれも記載なし
「明治4年(1871)社寺調」の書き上げ(『里正日誌』12p42)
日枝大神(地元では山王様)
社地1畝15歩 45坪 約150㎡ 本社など敷地15歩 15坪 約50㎡
杉、桜、松、椹(さわら)9本
かっては塚になっていて、「三本杉」と呼ばれる大杉がこんもりと茂る一角に石祠がまつられていました。
幕末、神社南側に農兵の訓練場が置かれていました。
南側に接する通りが江戸街道(現・新青梅街道)から中藤村(武蔵村山市)へ通ずる広域道路であったこともあってか、天保9年(1838)塚近くで敵討ちが行われました。『東大和のよもやまばなし』に「敵討ちの話」として伝わります。
祭神 不詳(一般的には大山咋神(おおやまくいのかみ=山の地主神)と大物主神(または大国主神)を祭神とする)
創建 不詳
備考
「明治2年(1869)6月に行われた神仏混淆調」では山王社とします。(『里正日誌』10p410)
「明治4年(1871)社寺調」の書き上げでは日枝大神とします。(『里正日誌』12p42)
現在、地元では山王様とします。近くの空堀川に架かる橋の名前は「山王橋」です。
地誌類の記録
『新編武蔵風土記稿』『狭山之栞』
いずれも記載なし
「明治4年(1871)社寺調」の書き上げ(『里正日誌』12p42)
日枝大神(地元では山王様)
社地1畝15歩 45坪 約150㎡ 本社など敷地15歩 15坪 約50㎡
杉、桜、松、椹(さわら)9本
かっては塚になっていて、「三本杉」と呼ばれる大杉がこんもりと茂る一角に石祠がまつられていました。
幕末、神社南側に農兵の訓練場が置かれていました。
南側に接する通りが江戸街道(現・新青梅街道)から中藤村(武蔵村山市)へ通ずる広域道路であったこともあってか、天保9年(1838)塚近くで敵討ちが行われました。『東大和のよもやまばなし』に「敵討ちの話」として伝わります。
Item Relations
This item has no relations.
Collection
Citation
“山王社・日枝社,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月24日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/items/show/1597.