八幡神社社殿改築記念碑

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タイトル (Title)

八幡神社社殿改築記念碑

詳細 (Description)

 八幡神社本殿右横に「八幡神社社殿改築記念碑」があります。
 八幡神社の歴史を語り、旧地頭が本殿の建立に関わったことを綴る貴重な記念碑です。
八幡神社社殿改築記念碑裏面の上部に、次の通り社殿の改築経過が彫られています。

 「鎮守八幡神社社殿は元禄二年(1689)の建立にかかり、以来二百三十有余年の星霜を閲し、規模狭小にして腐朽甚だしく祭典行事等に支障あり、茲に於て氏子一同相謀り、大正拾四年(1925)十二月社殿を改築することに決し、境内地の立木を用材となし、関係各位の浄財の寄進と労力奉仕とにより、爾来これが完成に鋭意努力の結果、昭和七年(1932)九月現在の荘厳なる社殿の落成を見るに至れり
 抑も当社の祭神は応神天皇にして御神威殊に顕著なるを以て今後益々御加護を垂れ給ふことを信ずる次第なり
 茲に神殿改築二十五周年に当り記念碑を建て来歴を記録し永く後世に伝ふるものなり
 昭和三十一年(1956)九月十五日 建之」

 下部は昭和七年の社殿改築寄付者芳名が全面に彫られています。

 別に紹介した通り、地元の地誌『狭山之栞』には、天正3年(1575)と宝暦4年(1754)の棟札が記されています。しかし、元禄二年(1689)の建立に関しては記録がありません。
 この碑の元禄二年(1689)の建立については、北多摩神道青年会による案内表示に、「元禄二年(一六八九)九月、旧領主石川太郎右衛門並岸隼人の尽力に依り拝殿が建てられ、・・・」とあり、具体的に人名が表示されています。
 旧領主石川太郎右衛門は四代忠英(ただふさ)と推定され、隣接する雲性寺の新伽藍整備に関わっています。墓碑もあります。家康派遣の直属家臣が地頭として奈良橋村を統治していた時代、八幡神社の建立に関わったことを記す貴重な碑です。
 雲性寺裏山の墓地に、江戸時代奈良橋村を統治した地頭、石川氏の墓碑が7基あります。
 このうち左から二番目が八幡神社の社殿を整備した石川太郎右衛門・四代忠英(ただふさ)の墓碑です。

Item Relations

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Citation

“八幡神社社殿改築記念碑,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月24日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/items/show/1603.