御霊神社

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湖底に沈んだ内堀地域.jpg

タイトル (Title)

御霊神社

詳細 (Description)

 村山貯水池の湖底に沈んだ区域に、江戸末期戸数28戸、明治12年(1879)氏子数98戸の内堀と呼ばれる集落がありました。村人達は「内堀村」を名乗りたかったようですが、江戸時代から明治8年(1875)まで「宅部村」(やけべ)と命名されていました。その産土神・鎮守が御霊神社でした。
大正12年(1923)、村山貯水池の建設により移転を余儀なくされて、狭山神社に合祀されました。旧地は水没し、現地に立つことは出来ません。
狭山丘陵が刻んだ大きな谷に成立した村々でした。日照の関係でしょうか、中央に流れる宅部川を中心に水田、北側に集落、南側に神社がまつられました。
灌漑用水を兼ねる池の奥の林の中に、社がありました。本社は間口3尺3寸 奥行き5尺5寸で、拝殿は間口3間、奥行き2間であったと伝えられます。
祭神は早良親王、伊予親王、藤原夫人、藤原広嗣、橘逸勢、吉備大臣、文夫人、火雷神とします。
江戸時代までは修験の常覚院が管理に当たっていました。
お祭りの日
毎年、8月15日がお祭りの日でした。神社の近くに住んで居られた内堀小十郎さんから聞いた話です。
「14日の宵宮(よいみや)にはな、前の晩から村中にふれを出してあんから、皆んなが集まんだ。先ず、手分けして草刈りと神社周りの掃除よ。
それからがおお事よ。前の年の灯籠を出して洗ってな、絵紙を貼んだ。絵紙は芋窪の専門家に書いて貰ったこともあるけんど、大体は所沢まで買いに行ったな。ダンゴや野菜、娘っこ、時には狐なんかもあった。上手に組み合わせるのに一苦労よ。そんでも、日が暮れると、高みの神社から常口まで段々に灯りがともるべえ、もう、すっかり祭り気分よ。
15日は祭りの日だんべ。奈良橋の八幡様から特別に神主を頼んで、厳かに拝みよ。お祓いも終わると、まだ日が高かったけんど、茶碗酒さ。初めは、拝殿の壁よりにぐるりと座って穏やかだけんど、そのうち、踊り出すのも居てな、まあ、一年ぶりの大騒ぎだったな。
時にはスルメなんか出たけど、大抵はコウコウ(漬物)と新生姜(しょうが)の塩かけよ。いいときには、女んなしから煮っ転がしが差し入れられたり、出店からコンニャクの煮付けを買ってきたり、これはご馳走だった・・・。
神輿や山車(だし)も出したかったけんど、俺の時代にはなかったなー。囃子(はやし)も芝居も話が持ち上がったけんど、出来なかったなー・・・」
御霊神社の歴史
御霊神社はどのような歴史を辿ったのでしょうか。江戸時代からの地誌は次のように記します。
『新編武蔵風土記稿』
・御領明神社 除地、六畝二十歩、小名内堀にあり、この辺を宮の下山根と云ふ、二間に三間の上屋を造りて、内にわづかなる宮をおけるなり、
『狭山之栞』
・御料神社 字内堀にあり。鎌倉権五郎景政の霊を祭る。古時は御霊明神と唱へしが延宝五年(1677)再検地の砌御料所の鎮座なるに依て縣令設楽孫兵衛差図にて改む。
維新の際元の如く御霊明神と更称、中田六畝廿歩の除地は奉還し現今社地壱反壱畝廿歩官有地となる。
別當常覚院は復飾して内堀宅美と改め神官となる。祭典毎年六月十五日。
末社弁財天は市杵嶋神社に天王は八坂と改称す。
明治3年の書き上げ
明治3年(1870)、東大和市域の村々は、一斉に地域内神社について「書き上げ」を政府に提出しています。その内容は下記の通りです。
以上、いずれも、御霊神社の創建の時期を明らかにしません。しかし、東大和市内では豊鹿島神社(慶雲4年・707)に次ぐ二番目に古い創建伝承を持ちます。『多摩湖の歴史』が次のように収録しています。
「湖底の村に建立された最初の神社は御霊神社のようである。奈良橋押本家にある『御霊神社々伝』にのっている口碑伝えるところによると、
後冷泉天皇の御代(一〇四五~一〇六八年)、陸奥の豪族安部頼時が反乱をおこした。朝廷は源頼義をして之を討たせた。その時、当所大宅郷(宅部のことか=筆者)に、大宅大夫光任(みつとう)および寺島小十郎等がいて、官軍(傍点筆者)に従い、同所の高い丘陵の上で旗揚げし、神壇を設け、武八神を祀り、以って戦勝を祈願した。
後に頼時ら誅に伏し、余賊を皆平げた。里人等神霊のあらたかであることを感謝し、康平六(一〇六三)年、祠をつくって同郷の総鎮守とし、御霊明神と称したと記されている。」(p204 成迫政則)
狭山丘陵のこの地に、康平6(1063)年の段階で神社をまつる集団が根付いていたとの伝承は大切にしたいと思います。多々、問題を含んでいますが、研究が進み、各地にある御霊神社(かっての御霊明神、御霊大明神)とのつながりなどが明らかになればと願います。

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Citation

“御霊神社,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月24日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/items/show/1622.