庚申塔をまつった背景
タイトル (Title)
庚申塔をまつった背景
詳細 (Description)
庚申塔を拝すると、文字を刻んだものもありますが、多くが真ん中に怖い顔をした像が彫られ、周りにいろいろなものが彫られています。庚申塔をまつった背景が辿れそうなので、この謂(い)われをたずねてみました。
芋窪慶性院の庚申塔です。
享保7年(1722)、村山貯水池に沈んだ石川の地域にまつられていました。
正面を詳しく拝見します。
・正面に6本の手を持った怖い顔をした仏様は「青面金剛」(しょうめんこんごう)と呼ばれます。
それぞれの手に何かを掴んでいます。
・この像では、正面から見て、中央の2本は合掌しています。
左側下の手は「羂索」(けんさく 誰れをも救済)、左上の手は鉾(ほこ)、
右側下の手は棒、右上の手は法輪(迷いや邪念、悪を打ち破る)を持っています。
・顔の左上に月、右上に太陽
・足許を見ると、邪鬼(じゃき)を踏みつけ、横に左右とも鶏
・その下に耳を塞ぎ、口を塞ぎ、目を覆う三匹の猿。
道理に合わないことを聞かざる、云わざる、見ざる、で猿に象徴しています。
・全体の左側に造立年月、右側に供養関係の銘が彫られています。
これは、何を表すのでしょうか?『東大和市史資料編8 信仰の姿と造形』に聞いてみます。
青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)
鬼病を流行させる神で病魔悪魔を辟除するために修される。(中略)
その姿は青身にして四臂(しひ)の忿怒形(ふんぬ)として説かれ、この場合は左上手股叉(こさ 二股に分かれた武器)、下手棒、右上手輪、下手絹索(けんさく)を執る。ほかに二臂、六臂、八臂像があり、作例としては六臂像が一般的である。
庚申塔の形式には、一般的にはまず庚申信仰の本尊である腕を六本つけたいわゆる六臂の青面金剛像を彫出し、ほかにその人の悪業を「見ざる」、「言わざる」、「聞かざる」を意味する三猿と鶏鳴くすなわち夜明けを告げる鶏や庚申の日待や月待を意味する太陽や月を表したものが多い。(『東大和市史資料編8 信仰の姿と形』 p118)
東大和市内では各地域に「庚申講」(こうしんこう)が設けられ、その夜は徹夜で食べ、飲み、語り明かしたと伝えられます。しかし、現在では、講は行われず、庚申塔にその名残を追う以外に手がかりはありません。
やむなく、どのような背景で講がつくられ、庚申塔がまつられたのか、再度、『東大和市史資料編8 信仰の姿と造形』に聞いてみます。
「・・・庚申にあたる年や日は六十年あるいは六十日毎に巡り、くり返される。そして中国の道教思想の影響を受けて、日本でも古くからこの庚申にあたる日は、人間の体内にいると伝えられた「三尸の虫」(さんしのむし)が、その夜眠っている間に体からぬけだし、その人の悪事がすべて天帝に告げられ、そのことによって寿命がちじめられると信じられていた。
そのためこの日は三尸の虫が体から抜け出さないように皆で集まり夜を明かしたという。眠気ざましのため、その夜は持ちよった茶菓や食物あるいは酒を交わし、話し明かすのが通例であった。こうした行為が庚申信仰であり、またこの集まりを「庚申講」とよんだ。(中略)
庚申塔の造立は、おもに講中や村中の人たちによって庚申信仰が始められて五年経過した後の庚申の年に行われるのが通例とされるが、庚申の年が六十年に一度しか回ってこないため、実際には庚申の年以外でも造塔されることは多い。」(p109)
との説明です。
確かに、東大和市に残されている庚申塔を見ると、
・杉本氏の個人造立、雲性寺のア字庚申塔、オカネ塚の文字庚申塔を除き、
・「芋窪村講中」「奈良橋村 施主講中」「施主 石川村」「山口領清水村」「蔵敷村 総村中」「内堀村」「高木村 施主村中」と全ての村に講が形成されていて、庚申塔が造立されたことがわかります。
そして、講が開かれた時には、青面金剛様へ病魔、悪魔の排除を願い、天候安定、豊作を祈り、道理に背かないことを誓い(三猿)、夜明けを告げる鶏の鳴き声で、仕事に戻ったことが偲ばれます。
東大和市ばかりでないかも知れませんが、一つの特徴があります。
・東大和市内では最古の庚申塔は芋窪・高杉家地内の六臂青面金剛像庚申塔で、延宝8年(1680)「施主 石川村」です。
・多くは江戸時代中期にまつられます。
・芋窪・慶性院境内入口、六臂青面金剛像、寛政2年(1790)まで9基がまつられますが、その後明治になるまで塔が見られなくなります。
・そして、急速に現れてくるのが馬頭観音で、まるで引き継がれるようです。
・庚申塔の最後、最新は明治29年(1896)、「庚申」の文字を彫った文字庚申塔で、姿も形も変わり、「杉本、森田」の個人が造立します。
・この間の歴史に惹かれます。
東大和市内にまつられた最も新しい庚申塔。
狭山・霊性庵に村山貯水池の湖底に沈んだ杉本地域から移りました。
「庚申」の文字庚申塔、明治29年・1896)「杉本、森田」の個人が造立しています。
オカネ塚にまつられた庚申塔以外は、全てお参りすることができます。
芋窪慶性院の庚申塔です。
享保7年(1722)、村山貯水池に沈んだ石川の地域にまつられていました。
正面を詳しく拝見します。
・正面に6本の手を持った怖い顔をした仏様は「青面金剛」(しょうめんこんごう)と呼ばれます。
それぞれの手に何かを掴んでいます。
・この像では、正面から見て、中央の2本は合掌しています。
左側下の手は「羂索」(けんさく 誰れをも救済)、左上の手は鉾(ほこ)、
右側下の手は棒、右上の手は法輪(迷いや邪念、悪を打ち破る)を持っています。
・顔の左上に月、右上に太陽
・足許を見ると、邪鬼(じゃき)を踏みつけ、横に左右とも鶏
・その下に耳を塞ぎ、口を塞ぎ、目を覆う三匹の猿。
道理に合わないことを聞かざる、云わざる、見ざる、で猿に象徴しています。
・全体の左側に造立年月、右側に供養関係の銘が彫られています。
これは、何を表すのでしょうか?『東大和市史資料編8 信仰の姿と造形』に聞いてみます。
青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)
鬼病を流行させる神で病魔悪魔を辟除するために修される。(中略)
その姿は青身にして四臂(しひ)の忿怒形(ふんぬ)として説かれ、この場合は左上手股叉(こさ 二股に分かれた武器)、下手棒、右上手輪、下手絹索(けんさく)を執る。ほかに二臂、六臂、八臂像があり、作例としては六臂像が一般的である。
庚申塔の形式には、一般的にはまず庚申信仰の本尊である腕を六本つけたいわゆる六臂の青面金剛像を彫出し、ほかにその人の悪業を「見ざる」、「言わざる」、「聞かざる」を意味する三猿と鶏鳴くすなわち夜明けを告げる鶏や庚申の日待や月待を意味する太陽や月を表したものが多い。(『東大和市史資料編8 信仰の姿と形』 p118)
東大和市内では各地域に「庚申講」(こうしんこう)が設けられ、その夜は徹夜で食べ、飲み、語り明かしたと伝えられます。しかし、現在では、講は行われず、庚申塔にその名残を追う以外に手がかりはありません。
やむなく、どのような背景で講がつくられ、庚申塔がまつられたのか、再度、『東大和市史資料編8 信仰の姿と造形』に聞いてみます。
「・・・庚申にあたる年や日は六十年あるいは六十日毎に巡り、くり返される。そして中国の道教思想の影響を受けて、日本でも古くからこの庚申にあたる日は、人間の体内にいると伝えられた「三尸の虫」(さんしのむし)が、その夜眠っている間に体からぬけだし、その人の悪事がすべて天帝に告げられ、そのことによって寿命がちじめられると信じられていた。
そのためこの日は三尸の虫が体から抜け出さないように皆で集まり夜を明かしたという。眠気ざましのため、その夜は持ちよった茶菓や食物あるいは酒を交わし、話し明かすのが通例であった。こうした行為が庚申信仰であり、またこの集まりを「庚申講」とよんだ。(中略)
庚申塔の造立は、おもに講中や村中の人たちによって庚申信仰が始められて五年経過した後の庚申の年に行われるのが通例とされるが、庚申の年が六十年に一度しか回ってこないため、実際には庚申の年以外でも造塔されることは多い。」(p109)
との説明です。
確かに、東大和市に残されている庚申塔を見ると、
・杉本氏の個人造立、雲性寺のア字庚申塔、オカネ塚の文字庚申塔を除き、
・「芋窪村講中」「奈良橋村 施主講中」「施主 石川村」「山口領清水村」「蔵敷村 総村中」「内堀村」「高木村 施主村中」と全ての村に講が形成されていて、庚申塔が造立されたことがわかります。
そして、講が開かれた時には、青面金剛様へ病魔、悪魔の排除を願い、天候安定、豊作を祈り、道理に背かないことを誓い(三猿)、夜明けを告げる鶏の鳴き声で、仕事に戻ったことが偲ばれます。
東大和市ばかりでないかも知れませんが、一つの特徴があります。
・東大和市内では最古の庚申塔は芋窪・高杉家地内の六臂青面金剛像庚申塔で、延宝8年(1680)「施主 石川村」です。
・多くは江戸時代中期にまつられます。
・芋窪・慶性院境内入口、六臂青面金剛像、寛政2年(1790)まで9基がまつられますが、その後明治になるまで塔が見られなくなります。
・そして、急速に現れてくるのが馬頭観音で、まるで引き継がれるようです。
・庚申塔の最後、最新は明治29年(1896)、「庚申」の文字を彫った文字庚申塔で、姿も形も変わり、「杉本、森田」の個人が造立します。
・この間の歴史に惹かれます。
東大和市内にまつられた最も新しい庚申塔。
狭山・霊性庵に村山貯水池の湖底に沈んだ杉本地域から移りました。
「庚申」の文字庚申塔、明治29年・1896)「杉本、森田」の個人が造立しています。
オカネ塚にまつられた庚申塔以外は、全てお参りすることができます。
Item Relations
This item has no relations.
Collection
Citation
“庚申塔をまつった背景,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月24日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/items/show/1739.