霊性庵の石造物1
タイトル (Title)
霊性庵の石造物1
詳細 (Description)
正面石段付近の石造物
大日如来他4体の石造物は狭山の各地域にまつられていました。道路の拡幅や村山貯水池の建設に伴い、湖底に沈んだ地域からも移されています。
図のように
観音堂再建記念供養塔
六地蔵尊1
六地蔵尊2
大日如来他4体があります。
大日如来他4体の石造物は狭山の各地域にまつられていました。道路の拡幅や村山貯水池の建設に伴い、湖底に沈んだ地域からも移されています。
観音堂再建記念供養塔
全文を引用します。
「きぎ茂る 嶺の庵を訪ねきて うれしくもきく 法の松風
狭山観音堂霊性庵(嶺松庵)が開創された年代は詳かでないが、円乘院二十二世法印泓誉(おうよ)が本尊如意輪観音像の台座に
「元禄五壬申(みずのえさる)九月三日、天再興成就然て此尊像者運慶作也。依之願主当村殊惣檀中同円乘院住法印泓誉勧男女奉加念仏講為二世安楽再興成就祈也」
と誌されていることから、庵の創建はこれ以前であることが伺える。
また、新編武蔵風土記稿に
「堂の建物、二間半に五間、南向如意輪座像木ニテ作ル、丈八寸許リ」云云
斯くして年輪を重ね風雪に耐えた霊性庵は老朽甚だしく維持に耐えられず、昭和三十八年、遂に解体を余儀なくし直ちにささやかな坊茅舎を建て、狭山三十三観音巡拝者の拝堂、地元信徒の墓参の祖堂としたが管理して三十三ケ年に及び是また建物の耐用年数の限度を迎えた。
偶、平成七年の孟蘭盆(うらぼん)を機に堂宇の新築及び墓地の造成計画、竝びに両墓制埋葬地の改葬等を立案役員会に諮問すると共に関係者の同意を得。平成八年八月八日に工事請負契約を締結。同年九月十三日に地鎮祭、平成九年二月七日には上棟祭を行った。
また、同時に着工した墓地造成工事も順調に進捗し墓地区画大小併せ壱百参区が完成した。平成九年六月七日には総ての工事が竣工し落成慶賛の法会を賑々しく奉修した。これ、偏えに役員各位の熱意とご信援の賜ものと衷心より感謝の意を表します。
我が宗祖弘法大師のお言葉に後昆(こうこん 子孫の)廻向、精霊深く之を悦ぶ、とわれらが永年の悲願ここに圓成し記念供養塔を建てご協力いただいた大方諸賢に、謹んで感謝の誠を捧げ 擱筆
平成九年六月七日 令辰建之
狭山観音堂墓地管理者 円乗院住職 小峰正存
霊性庵主管 小峰正見」
六地蔵尊1
六地蔵尊1は無蓋六面塔で、明治31年(1898) 世話人村中 台石に願主町田権右衛門と刻まれています。
六地蔵尊は次の地蔵尊が浮彫になっています。
錫杖(しゃくじょう)、宝珠 施無畏印、宝珠 幢(とう、はた) 合掌 柄香炉 念珠
六地蔵尊2(文久元年・1861)
六地蔵尊2は丸彫地蔵尊6体です。
向かって左から「法印地蔵」「法性地蔵」「延命地蔵」「宝性地蔵」「陀羅尼地蔵」「地持地蔵」の順に配置されています。
台石には「武州多摩郡後ヶ谷村総村中 奉建立 六道能化地蔵尊 世話人 真野彦四郎 関口忠左ヱ門 竹内吉左ヱ門 真野三左ヱ門 柚木定右ヱ門 西田平右ヱ門 念仏講中」のほか、19人の念仏講中の名前と「文久辛酉歳五月吉旦」と刻まれています。
大日如来他4体の石造物は狭山の各地域にまつられていました。道路の拡幅や村山貯水池の建設に伴い、湖底に沈んだ地域からも移されています。
図のように
観音堂再建記念供養塔
六地蔵尊1
六地蔵尊2
大日如来他4体があります。
大日如来他4体の石造物は狭山の各地域にまつられていました。道路の拡幅や村山貯水池の建設に伴い、湖底に沈んだ地域からも移されています。
観音堂再建記念供養塔
全文を引用します。
「きぎ茂る 嶺の庵を訪ねきて うれしくもきく 法の松風
狭山観音堂霊性庵(嶺松庵)が開創された年代は詳かでないが、円乘院二十二世法印泓誉(おうよ)が本尊如意輪観音像の台座に
「元禄五壬申(みずのえさる)九月三日、天再興成就然て此尊像者運慶作也。依之願主当村殊惣檀中同円乘院住法印泓誉勧男女奉加念仏講為二世安楽再興成就祈也」
と誌されていることから、庵の創建はこれ以前であることが伺える。
また、新編武蔵風土記稿に
「堂の建物、二間半に五間、南向如意輪座像木ニテ作ル、丈八寸許リ」云云
斯くして年輪を重ね風雪に耐えた霊性庵は老朽甚だしく維持に耐えられず、昭和三十八年、遂に解体を余儀なくし直ちにささやかな坊茅舎を建て、狭山三十三観音巡拝者の拝堂、地元信徒の墓参の祖堂としたが管理して三十三ケ年に及び是また建物の耐用年数の限度を迎えた。
偶、平成七年の孟蘭盆(うらぼん)を機に堂宇の新築及び墓地の造成計画、竝びに両墓制埋葬地の改葬等を立案役員会に諮問すると共に関係者の同意を得。平成八年八月八日に工事請負契約を締結。同年九月十三日に地鎮祭、平成九年二月七日には上棟祭を行った。
また、同時に着工した墓地造成工事も順調に進捗し墓地区画大小併せ壱百参区が完成した。平成九年六月七日には総ての工事が竣工し落成慶賛の法会を賑々しく奉修した。これ、偏えに役員各位の熱意とご信援の賜ものと衷心より感謝の意を表します。
我が宗祖弘法大師のお言葉に後昆(こうこん 子孫の)廻向、精霊深く之を悦ぶ、とわれらが永年の悲願ここに圓成し記念供養塔を建てご協力いただいた大方諸賢に、謹んで感謝の誠を捧げ 擱筆
平成九年六月七日 令辰建之
狭山観音堂墓地管理者 円乗院住職 小峰正存
霊性庵主管 小峰正見」
六地蔵尊1
六地蔵尊1は無蓋六面塔で、明治31年(1898) 世話人村中 台石に願主町田権右衛門と刻まれています。
六地蔵尊は次の地蔵尊が浮彫になっています。
錫杖(しゃくじょう)、宝珠 施無畏印、宝珠 幢(とう、はた) 合掌 柄香炉 念珠
六地蔵尊2(文久元年・1861)
六地蔵尊2は丸彫地蔵尊6体です。
向かって左から「法印地蔵」「法性地蔵」「延命地蔵」「宝性地蔵」「陀羅尼地蔵」「地持地蔵」の順に配置されています。
台石には「武州多摩郡後ヶ谷村総村中 奉建立 六道能化地蔵尊 世話人 真野彦四郎 関口忠左ヱ門 竹内吉左ヱ門 真野三左ヱ門 柚木定右ヱ門 西田平右ヱ門 念仏講中」のほか、19人の念仏講中の名前と「文久辛酉歳五月吉旦」と刻まれています。
Item Relations
This item has no relations.
Collection
Citation
“霊性庵の石造物1,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月24日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/items/show/1750.