高木神社
タイトル (Title)
高木神社
詳細 (Description)
所在地 東大和市高木二丁目104番地
祭 神 記念碑では高皇産霊神(たかむすびのかみ)
『狭山の栞』 では手力雄命(たじからおのみこと)
高木神社のある地域は、神社を挟んで北側に志木街道が通り、南側に清戸街道が通ります。神社の正面鳥居は清戸街道に面していて、こちらが表参道と考えられます。奈良橋川と空堀川の合流点を見守るように位置しています。表参道には文久2年(1862)銘のある幟立(のぼりたて)があり、神社は一段高くあります。
石段を登ると石灯籠(平成6・1994年)に迎えられ、木造の明神鳥居(年代不詳)をくぐります。
社殿の前には、盆踊りや獅子舞の舞われる広い前庭があります。正面に高木神社、左側に境内社、右側に塩釜神社がそれぞれ位置します。
塩釜神社は元は高木村の天領名主・尾崎金左衛門さんの屋敷神でした。安産の守り神として多くの参拝者を得て、明治10年(1877)にこの地に遷されました。
熱心な支持者から村外の各地にも塩釜講が設けられました。
境内社として、八坂神社、山の神、稲荷神社、秋葉神社がまつられています。明治の一村一社制度の際、村の各地から遷られました。
塩竈神社の東側には神社を管理する別当の明楽寺がありました。明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により廃寺となりました。その跡に造られたのが「高木他五か村連合戸長役場」でした。後に、昭和にかけて村役場として使われました。倉庫が残され、一帯を「高木他五か村連合戸長役場跡」 として東大和市の史跡となっています。
道路の拡張など、それぞれの理由で当初の位置から動かさなくてはならなくなった石仏群がまつられています。
左から馬頭観音・供養碑、馬頭観音・供養之碑、庚申塔、馬頭観音、馬頭観音
かって、高木神社東側に、神社を別当として管理していた明楽寺がありました。円乗院住職の隠居寺とも云われ、その墓地が残されています。歴代住職墓碑の他、比翼塚などの石仏がまつられています。松っこごれ地蔵さんもこの地に遷られています。
祭 神 記念碑では高皇産霊神(たかむすびのかみ)
『狭山の栞』 では手力雄命(たじからおのみこと)
高木神社のある地域は、神社を挟んで北側に志木街道が通り、南側に清戸街道が通ります。神社の正面鳥居は清戸街道に面していて、こちらが表参道と考えられます。奈良橋川と空堀川の合流点を見守るように位置しています。表参道には文久2年(1862)銘のある幟立(のぼりたて)があり、神社は一段高くあります。
石段を登ると石灯籠(平成6・1994年)に迎えられ、木造の明神鳥居(年代不詳)をくぐります。
社殿の前には、盆踊りや獅子舞の舞われる広い前庭があります。正面に高木神社、左側に境内社、右側に塩釜神社がそれぞれ位置します。
塩釜神社は元は高木村の天領名主・尾崎金左衛門さんの屋敷神でした。安産の守り神として多くの参拝者を得て、明治10年(1877)にこの地に遷されました。
熱心な支持者から村外の各地にも塩釜講が設けられました。
境内社として、八坂神社、山の神、稲荷神社、秋葉神社がまつられています。明治の一村一社制度の際、村の各地から遷られました。
塩竈神社の東側には神社を管理する別当の明楽寺がありました。明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により廃寺となりました。その跡に造られたのが「高木他五か村連合戸長役場」でした。後に、昭和にかけて村役場として使われました。倉庫が残され、一帯を「高木他五か村連合戸長役場跡」 として東大和市の史跡となっています。
道路の拡張など、それぞれの理由で当初の位置から動かさなくてはならなくなった石仏群がまつられています。
左から馬頭観音・供養碑、馬頭観音・供養之碑、庚申塔、馬頭観音、馬頭観音
かって、高木神社東側に、神社を別当として管理していた明楽寺がありました。円乗院住職の隠居寺とも云われ、その墓地が残されています。歴代住職墓碑の他、比翼塚などの石仏がまつられています。松っこごれ地蔵さんもこの地に遷られています。
Item Relations
This item has no relations.
Collection
Citation
“高木神社,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月22日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/index.php/items/show/1609.