高木神社前  馬頭観音 文政11年

1正面_馬頭観世音 台石に総村中.JPG
2右側面.JPG
3左側面_文政十一戊子歳八月穀旦.jpg
4武州多摩郡高木邑.JPG
5文政11年の馬頭様は左から2番目.jpg
6供養之碑.JPG
7文政11年(1828)馬頭様の新旧位置図.jpg

タイトル (Title)

高木神社前  馬頭観音 文政11年

詳細 (Description)

文政11年(1828)
 高木地域を代表する馬頭観世音です。
 文政11年(1828)8月吉日
 旧江戸街道(現・新青梅街道)と府中道が交差する角にまつられました。
 高さ108㌢ 幅41㌢ 奥行き40㌢
 多くの人々と馬々を見守るように太字が豪快に彫られています。
右側面
 天下泰平
 国家安全
 の文字が刻まれています。この語句は、この時代の一つの流行でもあったようです。
 そして、今、当時を辿ると、村人達の日々の生活は大変厳しかったことを伝えます。
左側面
 この石碑が文政十一戊子歳八月穀旦にまつられたことを告げます。
 穀旦(こくたん)=吉日
 当時の様子を辿ります。幕末の農村に
 文政10(1827)
・無宿者が往来し、関東取締出役が設けられました。
・無宿者の取り締まりと同時に村人の規律が強まりました。
・江戸へ農産物を運び駄賃を得る農間稼ぎが取り締まりを受けました。
 文政11年(1828)
・幕府は諸国に人別帳の提出を命じ、村の統制を強めます。
・シーボルト事件が起こり、対外的にも緊張が高まりました。
・幕府が5年間の倹約令を出しました。
 このような中で、高木村の人々はこの馬頭観音をまつりました。
・統制が厳しくなる中で、更なる農間稼ぎの発展、
・妨害が加えられる江戸への往復の交通と馬の安全を願う一方で
・天下泰平、国家安全をうたいあげています。
◎現実に迫る厳しい生活、その中での天下泰平、国家安全
 村人達の日常の生活基盤をより確かなものにしようする
 主張のようにも思えます。
裏面
  武州多摩郡
   高木邑(村)
 台石とあわせ、高木村総出でまつったことがわかります。
現在の位置
この馬頭様は現在、高木神社の前に移っています。
下の画像の左から2番目です。
供養之碑
 今回紹介した馬頭様は旧江戸街道の傍らに建立されました。
 旧江戸街道は昭和30年代に拡幅整備され、現新青梅街道となりました。
 その際、馬頭様は場所を移すことになり、高木神社の前にまつられることになりました。
 その経過が馬頭様の右隣の供養の碑に刻まれています。
 供養之碑 旧江戸街道改修ニ依リ当所ニ移転
 裏面に 昭和三十四年二月十一日 建立
     高木自治會(会)
新旧位置図
 馬頭様は当時の江戸街道と府中道が交差する
 横に江戸・青梅、縦に川越・所沢、立川・府中へと広域の道
 その北西角=集落側にまつられました。
 南側は武蔵野を新田開発した一面の畑です。
 交通の安全と同時に、集落への病魔の侵入を防ぐ意味も持たせたようです。

Item Relations

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Citation

“高木神社前  馬頭観音 文政11年,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年4月26日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/index.php/items/show/1757.