4.衆楽会の目標が「新聞購読社」で実現

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4.衆楽会の目標が「新聞購読社」で実現

詳細 (Description)

 最初は「曙新聞」と「読売新聞」の二種からはじまり、「よんどころなし」を特別購入した。この会の収支決算書には「親睦会費不足」という項目があることから、単に新聞を回し読みすることだけではなく、会員の親睦を図るための会も開かれていたことがわかる。次に「驥尾団子(きびだんご)」「人情雑誌」「面白奇聞」などにかわった。リクエストがあったのだろうか。また、明治14年9月からは、「朝野(ちょうや)新聞」の購読に変わる。自由民権派新聞のひとつとして、また社員を民権派ジャーナリストとして各地に派遣し、民権思想の普及に努めていた朝野新聞を購読することにしたのは自由民権への関心度が高まったということだろう。さらに明治15年には、地元神奈川県の民権派新聞で、多くの民権家が購読していた「東京横浜毎日新聞」に変えている。この間、メンバーは一人運動の発展に相乗作用をもたらしたといえる。
新聞購読社の歩みは、衆楽会が発足時にかかげたスローガンがけっして目標だけに終わらずに、実態をともなっていたことの証拠となる。北多摩の一角を占める東大和地域の実力は、本格的なものだったといえるだろう。

制作者 (Creator)

東大和デジタルアーカイブ研究会

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Citation

東大和デジタルアーカイブ研究会, “4.衆楽会の目標が「新聞購読社」で実現,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年11月21日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/index.php/items/show/24.