東大和の自由民権運動

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 自由民権運動の芽生え

 明治七年(一八七四)一月、板垣退助や後藤象次郎らに、英国から帰ったばかりの小室信夫と古沢滋が加わって民撰議院設立建白書が左院(明治四年に設置された太政官の構成機関のーつで正院に従属)に提出され、自由民権運動の火ぶたが切っておとされた。
 三か月後には、板垣らによって郷里の高知に立志社が結成された。隣県の徳島には自助社が組織され、さらにその火は一気に東北福島に飛び、河野広中によって石陽社が誕生している。
 翌明治八年には、大阪に愛国社が結成され、いよいよ本格的な運動へ歩を早めた。
 当時、神奈川県下に入っていた三多摩地域でも、横浜開港以来、村の豪農層を中心に、新しい胎動がおこっていた。
 旧弊を脱却し「開化」へ向かう新鮮な動きである。
 その証拠に、三多摩地区では、明治五年(一八七二)の学制頒布前に次々と郷学校が生まれていた。
南多摩郡では、小野郷学(現町田市)や長沼郷学(現稲城市)が、北多摩郡では布田郷学校が調布に開校していた。
 東大和周辺では、明治四年(一八七一)四月、韮山県郷学校が小川組合小川寺に仮開校し、同年八月に正式開校した。神奈川県の前の韮山県に属していた時代である。
 第一区の小川組合には、蔵敷、奈良橋、高木、後ケ谷、宅部、廻田、粂川、南秋津、小川、小川新田、廻田新田、榎戸新田、平兵衛新田、上谷保新田の十五か村が含まれており、四書五経や日本書紀などと並んで、泰西各国史などが教羽として使われた。
 さらに、助教として、蔵敷の内野杢左衛門の長男で、名主見習の内野嘉一郎(のちの杢左衛門秀峰「写真・内野家所蔵」)が採用され、生徒として高木村から二人、後ケ谷村二人、宅部村一人、奈良橋村三人などが名を連らねていた。
 このように周辺各地を巻き込んでの草創期の広域教育の中で、東大和地域の新しい教育がスタートしたのである。
 当然ながら、翌、明治五年(一八七二)に学制が頒布されると、芋窪村に小禎学舎、蔵敷村に汎衆学舎、奈良橋村に厳玉学舎、高木村・後ケ谷村に竭力学舎、清水村・宅部村に研精学舎と続々と誕生したのである。
 なかでも韮山郷学校の助教内野嘉一郎は、韮山県時代の第一区の区長、明治五年(一八七二)一月からの神奈川県時代には第五十区の区長、さらに、翌明治六年の区画改正後には、第十一区十番組の戸長と、この地域の行政のトップについており、新政府が次々と打ち出してくる近代化政策にだれよりも早く接触し、実践する立場にあった。
 内野が第十一区十番組の戸長 をしているころ、隣接地域の第十区区長には、南多摩郡野津田利の石坂昌孝が第八区区長と兼務のかたちで勤めていた。
 明治七年(一八七四)二月末から四月はじめまでのーか月余りと短い期間ではあったが、のちに三多摩、あるいは神奈川県の自由民権運動の最高指導者となる石坂が、北多摩の地域にあっても多くの戸長や区長と接触した可能性は高い。
 内野がこのころ、石坂と出会い、さまざまな刺激を受けていたことが推測される。
 石坂は同じころ、小野郷学(南多摩郡小野路村他)の創設にかかわり、今や「同文化開の時」に至りきたっていると自覚し、「郷里を善良にする」ことと「人材を英育すること」の大切さを強調していた。また、明治六年(推定)四月には原豊穣とともに神奈川県権参事の山東直砥にあてて「大区会議開設」の建白書を提出し、地方自治の早期実現こそ「開化進歩ノ一端」となるのだと説いている。
こうした開明的な行動を次々ととっていた石坂と、内野をはじめ東大和地域の豪農層が、もし接触していたとすれば、情報の交換ばかりでなく、村の指導層が今何を成すべきかについて、意見を交えたにちがいない。ここには、すでに郡を越えての交流があったことが推測されるのである。三多摩地区には、一八八〇年代の自由民権運動の足場とネットワークとが、明治に入ってすぐの年代に着々と築かれていたといえよう。

 三多摩で最初の民権学習結社―「衆楽会」の誕生―

 それでは、東大和の地域に自由民権への芽生えがおこったのはいつごろのことであろうか。ごく最近の東大和市の市史編さんの調査で、三多摩自由民権運動史にとって新しい事実が確認された。
 というのは、これまで確認されている五十六の結社(南多摩二十五、北多摩十一、西多摩二十)の中で、もっとも早く活動を展開しはじめたとみられていた南多摩郡野津田村を中心とした結社「責善会」(せきぜん)の明治十一年(一八七八)五月よりも、四か月も早く東大和地域では動き出していたことが判明したのである。
 すでに東大和地域では、同年一月十七日に石沢山愛染院(蓮華寺、新義真言宗)で「衆楽会」という結社が発足していたのだ。場所は「石川の内字前坂」で、現在は多摩湖になっているところである。

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