3.初めての図書館「新聞購読社」誕生

新聞購求議定書(表紙)(内野家文書).jpg
新聞購求議定(部分)(内野家文書).jpg
新聞購求議定書のうち「配達法」(内野家文書).jpg

タイトル (Title)

3.初めての図書館「新聞購読社」誕生

詳細 (Description)

 この地域の運動として注目されるのは、衆楽会から3年後の明治14年1月1日に結成された「蔵敷村新聞購読社」とよばれているグループの活動である。毎月一人15銭ずつ出し合って「上等新聞」と「下等新聞」の二種の新聞をとり、それを一人2日2夜までの間に読み、次のメンバーに回覧するシステムの新聞購読社が蔵敷村に生まれた。この時も內野杢左衛門が中核で、同じ村の内野吉次郎・鈴木泰蔵・鈴木重蔵・小島関太郎・内野長吉・小島吉次郎・石原権右衛門ら八名が名を連ねた。会計係は鈴木重蔵となっている。
 江戸時代の瓦版にかわる新しい情報伝達手段として、明治初期に次々と「新聞」が誕生し、文明開化のメディアとしての役割を担ったのが新聞である。神奈川県の場合には、生まれたての学校にも「東京横浜毎日新聞」が配布され、学校教育にも積極的に使われたこともあったが、個人で購入するとなると、購読料も高く、希望があってもなかなか個人購読ができないのが現実であった。
 日本において公立図書館の初めとされるのが、明治5年(1872)に京都府に設立された「集書館」といわれているが、この時期、全国各地に簡易な閲覧施設として「新聞縦覧所」や「書籍縦覧所」が誕生している。また新聞を読ませて聞かせる「新聞解話会」(山梨県)や講集団を結成して新聞や雑誌を取り寄せて共同で閲覧できる「開化講」(静岡県)などの例があり、文明開化の進行と共に、農村部にも新聞が入り込むようになってきた。また自由民権の学習結社の中には、会員がいつでも自由に書籍や新聞を読めるように、会の本部に備えつけている所も増えてきていた。
 內野らが進めた「新聞購読社」は、まさにその流れの中にあり東大和地域に初めて誕生した“民間の図書館”と位置づけることができる。
 三多摩に目を広げてみると、その最も典型的な形が、西多摩郡深沢村(現あきる野市五日市)の深沢家に設けられた深沢文庫であり、そこでは当時東京で出版された新刊書籍はほとんど揃っていたといわれており、その書籍や新聞を栄養素にして育った民権家は数多い。当然ながら、そうしたうらやましい深沢文庫の情報はこの地域にも伝わっていたにちがいない。内野のようにこの地域の中でももっとも先進的な動きをしていた活動家にとっては、羨望(せんぼう)の的だったかもしれない。いつか自分のところでもという強い思いが芽生えたといえるのではないだろうか。自由民権思想や欧米の法律書などの翻訳書まではなかなか手を広げることができなかったが、まず、新聞を共同で購入して回覧することを思いついたのであった。

制作者 (Creator)

東大和デジタルアーカイブ研究会

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Citation

東大和デジタルアーカイブ研究会, “3.初めての図書館「新聞購読社」誕生,” 東大和デジタルアーカイブ, accessed 2024年3月29日, https://higashiyamatoarchive.net/omeka/index.php/items/show/26.