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東京瓦斯電気工業(株)から日立航空機(株)へ
日立製作所との合併
昭和14年(1939)5月15日、当時の大和村に工場建設中の東京瓦斯電気工業(株)は日立製作所と合併しました。そして、子会社の日立航空機株式会社を設立しました。合併の理由は国策によるとされます。小松ゼノア社報創業80周年記念号では
「日立製作所と合併し(5月)更に各部1門ごとにその子会社として新会社を設立
航空機部門一日立航空機㈱(5月15日)
兵器 部門一日立兵器㈱(昭23日立工機)
造機 部門一日立工作機㈱(昭16日立精機)
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昭和14年(1939)5月15日、当時の大和村に工場建設中の東京瓦斯電気工業(株)は日立製作所と合併しました。そして、子会社の日立航空機株式会社を設立しました。合併の理由は国策によるとされます。小松ゼノア社報創業80周年記念号では
「日立製作所と合併し(5月)更に各部1門ごとにその子会社として新会社を設立
航空機部門一日立航空機㈱(5月15日)
兵器 部門一日立兵器㈱(昭23日立工機)
造機 部門一日立工作機㈱(昭16日立精機)
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高札の書換え
慶応4年(1868)8月8日です。元佐賀藩士・古河定雄(一平)が武蔵国知県事になりました。8月28日、古河の部下から支配地に、次の通知が届けられました。 「高札を、あたらしい文面に書き替えて立てさせることになるから、在来の分を除去し、新規に板証を選び、一カ村に五枚ずつ大小を準備し、削りあげたものを泊り宿へ差出すよう準備せよ。・・・」(『府中市史』下p32)…
工場と住宅・福利施設の一体建設(南街)
東京瓦斯電気工業(株)の工場と社員施設
鉄道の駅がない、人家も一つもない、一面畑の中に、工場の建設は急ピッチで行われました。突貫工事と呼ばれその様子は次の通りです。
・昭和13年(1938 )5月1日、地鎮祭・給水塔完成
・昭和13年(1938 ) 10月、工場の一部完成
第一回先遣隊来村、まだ、社員宿舎などが未完成のため
当時の大和村や砂川地区の農家の蚕室などを宿とする
・昭和14年(1939)…
鉄道の駅がない、人家も一つもない、一面畑の中に、工場の建設は急ピッチで行われました。突貫工事と呼ばれその様子は次の通りです。
・昭和13年(1938 )5月1日、地鎮祭・給水塔完成
・昭和13年(1938 ) 10月、工場の一部完成
第一回先遣隊来村、まだ、社員宿舎などが未完成のため
当時の大和村や砂川地区の農家の蚕室などを宿とする
・昭和14年(1939)…
小学校の建設
高木他五カ村が大和村になって、解決を迫られたのが小学校問題でした。大和村の村域には、明治末から第一、第二、第三村山尋常小学校の3校がありました。時代を経るに従って学齢児童の増加に苦慮します。本来なら小学校の増改築をすべきなのに、…
五箇条の御誓文(内野杢左衛門の書き留め)
ご一新で、新しい時代に入りました。東大和の村々にも、新政府軍の動向が伝えられ、旧幕臣の帰国や浪人などの往来があり、厳しい空気が生まれていました。そのような中で、早速、「五箇条の御誓文」(慶応4・1863年3月14日発布)が伝えられたようで、蔵敷村の名主・内野杢左衛門は、資料のように書き留めています(『里正日誌』10p52)。
高札3枚目 キリシタン禁止
3枚目
定
一 邪宗門之儀ハ是迄御制禁之通堅く可相守事
一 切支丹宗門之儀ハかたく停止之事
一 邪宗門(じゃしゅうもの)之儀ハ是迄(これまで)御制禁(ごきんせい)之通堅(かたく)く可相守(あいまもるべく)事
一 切支丹宗門(きりしたんしゅうもん)之儀ハかたく停止(ちょうじ)之事
の3枚でした。内野杢左衛門が書き写した「広く会議をおこし」でも、「知識を世界に広め」でもありませんでした。杢左衛門は思わず、「ため息をついた」と子孫の方からお聞きしました。
定
一 邪宗門之儀ハ是迄御制禁之通堅く可相守事
一 切支丹宗門之儀ハかたく停止之事
一 邪宗門(じゃしゅうもの)之儀ハ是迄(これまで)御制禁(ごきんせい)之通堅(かたく)く可相守(あいまもるべく)事
一 切支丹宗門(きりしたんしゅうもん)之儀ハかたく停止(ちょうじ)之事
の3枚でした。内野杢左衛門が書き写した「広く会議をおこし」でも、「知識を世界に広め」でもありませんでした。杢左衛門は思わず、「ため息をついた」と子孫の方からお聞きしました。
高札1枚目 五倫の道
1枚目
定
一 人たるもの五倫の道を正しくすへき事
一 鰥寡孤独廃疾のものを憫むへき事
一 人を殺し家を焼き財を盗む等の悪業あるましく事
「人間は五倫(ごりん)の道を正しくせねばならぬ」
「鰥寡孤独廃疾(かんかわこどくはいしつ)のものを憫む(あわれむ)へき事
身よりのない者や病人をあわれむこと」
「殺人・放火・盗賊のような悪業をしてはいけない」
鰥寡(かんか)=「鰥」61歳以上の妻を亡くした夫、「寡」50歳以上の未亡人
定
一 人たるもの五倫の道を正しくすへき事
一 鰥寡孤独廃疾のものを憫むへき事
一 人を殺し家を焼き財を盗む等の悪業あるましく事
「人間は五倫(ごりん)の道を正しくせねばならぬ」
「鰥寡孤独廃疾(かんかわこどくはいしつ)のものを憫む(あわれむ)へき事
身よりのない者や病人をあわれむこと」
「殺人・放火・盗賊のような悪業をしてはいけない」
鰥寡(かんか)=「鰥」61歳以上の妻を亡くした夫、「寡」50歳以上の未亡人
7.奈良橋村に入村してきた千葉卓三郎と鎌田家
明治14年、奈良橋村の鎌田喜三郎家には、もう一人刺激的な人物が入り込んでいた。西多摩郡の五日市にいた千葉卓三郎である。公立の小学校「勧能学校」の教師であった千葉は、五日市からさほど遠くない同郡…
ひがしやまと人のはじまり
ひがしやまと人のはじまりひがしやまと人のはじまり 多摩湖内や空堀川沿いの遺跡から約2万年前の石器が見つかり、東大和にもこの頃から人々が暮らしはじめたことがわかります。その後、約1万年前からはじまる「縄文時代」のうち狭山丘陵が一番にぎわったのが約5千年前頃です。 丘陵のあちこちの遺跡で、竪穴住居のムラがあったことがわかります。ところが、それ以降、遺跡が急に少なくなり人口が減ったことを示しています。それと同じ状況がこの後の弥生時代、古墳時代まで続くのです。郷土博物館説明
東大和市の歴史総記
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東大和市の歴史の課題
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